iso14001,環境ISO News
大東亜戦争敗戦時アジア諸国の首脳発言 環境ISO,iso14001汚染の予防、歴史
英国の歴史家、アーノルド・トインビーは、 日本の近代史についてこんな分析をしました。
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朝日の慰安婦捏造問題を世界に発信するため、 かなり正確に伝えている英語での解説記事
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米政府の慰安婦問題調査で奴隷化の証拠発見されず
no proof war crimes with "disappointment" comfort woman
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「侵略戦争」は連合国の宣伝、日本は植民地アジアを解放した
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徹底検証!「従軍慰安婦」問題は朝日新聞の捏造から始まった
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Report No. 49: Japanese Prisoners of War Interrogation on Prostitution
従軍慰安婦に関する米軍調査報告:戦場売春婦の実態調査結果ビルマ
Report No. 49:
「文玉珠さん」という(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ 2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています
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ヒラリーの私用メールが暴いた外務省の赤っ恥 国益の毀損と責任感の欠如がもはや伝統に
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神風特攻隊が残した戦果は、実はすごかった。
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フーバー大統領の回想録
には、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。
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サンフランシスコで慰安婦碑反対運動で頑張っている有志からご協力のお願いです。
計画されている慰安婦碑のとんでもない内容の碑文が1月18日に承認されました。
来る2月6日の芸術委員会でその慰安婦碑の設置が承認されようとしています。
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“カナダ有志の会”よりお願い
中国系州議員やアルファという反日組織の工作により、
カナダ・オンタリオ州の立法議会が南京大虐殺記念日の制定を審議中です。
↓ Bill 79, Nanjing Massacre Commemorative Day ↓
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抗議のメールを、オンタリオ立法議会メンバーに送っていただけましたら幸いです。
南京大虐殺は捏造だった証拠集
韓国、韓国人慰安婦をドラム缶に入れて米軍らに供給、政府が米軍向けに売春管理
国連も一蹴した中国の政治宣伝 自民党が明らかにした南京の捏造
やはり
あの戦争は、アジア開放のための聖戦だった
ライダ
イハンは3万人もいるのに、なぜか韓国には日本軍人との混血児は一人も出てこない不思議… 20万の
朝鮮売春婦相手になぜ一人も出てこないんだ?
韓国を「ホワイト国」から除外しよう
南京事件について中国胡錦涛国家主席への公開質問状
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自己紹介
iso14001環境ISO生命に満ちた青い地球を守ろう
南京事件について中国胡錦涛国家主席への公開質問状
原爆被爆者の平均寿命は平均日本人より長い。男1年、女2年、寿命が長い。
http://www.sdh-fact.com/CL02_3/19_S1.pdf
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状 このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の 友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
反日種族主義
大東亜戦争敗戦時アジア諸国の首脳発言
太平洋戦争におけるわが国の戦争被害
「世界から恐れられた7人の日本人」
「大東亜戦争の英雄の日本人1」
「大東亜戦争の英雄の日本人2」
「大東亜戦争の英雄の日本人6」
「大東亜戦争の英雄の日本人3」空の要塞B29撃破とB29撃墜王
「大東亜戦争の英雄の日本人4」陸軍エースパイロット撃墜数
「大東亜戦争の英雄の日本人5」海軍エースパイロット撃墜数
「大東亜戦争技術者」
「大東亜戦争技術者2」
「大東亜戦争石油」
日米開戦前日米交渉(アメリカが日本に実質的最後通牒(日本の米国要求の南部仏印撤退などの譲歩案に
目も眩むちゃぶ台返し))
日米開戦前日米交渉
昭和陸軍全史3(川田 稔著)を中心として
世界 日本 アメリカ
193903xx ノモンハン事件-9月
19390827 独ソ不可侵条約 内閣総辞職欧州の天地不可解
19390901 ドイツポーランド侵入
19390903 英仏対独宣戦布告第2次世界大戦勃発
19390917 ソ連軍ポーランド侵入 独ソポーランド分割
194005xx ドイツベネルックス3国侵入
194005xx ドイツデンマークノルウエー侵入
19400627 フランス降伏。
日本、海軍増強大和型5隻計画
194006xx-19108xx ドイツ空軍 イギリス空軍の戦い 8月27日ヒットラーイギリス征服を延期(諦める)ソ連征服の後と
19400902 米国、英国に駆逐艦50隻供与、米州での英軍基地使用の見返りに
19400923 日本北部仏印進駐。援蒋ルート(中国蒋介石政権への援助)遮断。(日本の広東省征服後援蒋ルートの大きかった香港ルートが遮断され、援蒋ルートの50%、アメリカもソ連もこのルートを使っていた、他に英国のビルマルートが30%、ソ連の新疆ルートが10%他)
19400927 日独伊三国同盟
日本政権担当者は陸海軍を含めて誰も対米戦争を望まなかった、米国にはめられた。
日本対米戦争は不可、国力日本は米国の20分の1(実際は12分の1)
アメリカは「物質と財力の豊富な点においては世界第一」であり、現在国防国家体制の整備を進めている。少なくとも100万の将兵一人一人に機械化装備を与え、年間5万機の航空機を製作しようとしている。その軍事費は140億円に達するもので日本では考えられないことである。当時の日本の軍事費は20億円(陸軍軍務局長、武藤)
自動車生産:アメリカ430万台/年:イギリス43万台/年:ドイツ17万台/年:日本1.2万台/年
自動車の運転技術は航空機の運転技術と大差なし:アメリカは空軍パイロットの養成が簡単。
1940 年の粗鋼生産シェアは米(43),独(13),英(9)及び日(3)であった。ソ連は不明?米英 vs 日独は 52:16 であった。
日本は満洲でも鉄鋼の生産を行っていたがそれは日本の生産の1割程度だった
ヒルマン調査による1937年の世界の工業生産高に占めるシェア(政治力・潜在的軍事力と深い関連あり)は以下の通りです。戦前の列強の「総合国力比」といったテーマには、このデータがよく使われます。
1.アメリカ35.1%
2.ソ連14.1%
3.ドイツ11.4%
4.イギリス9.4%
5.フランス4.5%
6.日本3.5%
7.イタリア2.7%
1940xxxx 日本北部仏印進駐
米国、対日通商公開条約破棄ただし石油とくず鉄は除外
19400827 独軍イギリス攻撃中止
194007xx 米国、両洋艦隊法成立、
戦艦8隻空母18隻など
この当時海軍は常時航空機3000機(爆撃機1000機、戦闘機1000機、防衛用航空機1000機)が必要と、開戦時海軍機爆撃機3000機(練習機1000機含む)保有。
実際、アメリカは両洋艦隊法で1944までに14隻の正規空母、10隻の軽空母、70隻の護衛空母を新規配備した。同時期までに日本は5隻の正規空母の配備のみであった。航空機生産については、1943年に日本は15000機生産に対してアメリカは85000機、1944年には日本や区28000機、アメリカ96000機であった(ただしアメリカは太平洋大西洋双方に配備)
194011xx ドイツリッペントリップ外相日本に対ソ調停案提出
194102XX ソ連軍、バルト3国侵入、対フィンランド(領土要求)戦争
、ソ連、北ルーマニア併合、ヒットラー、スターリンに不信感。
194011
フィンランドとソビエト連邦の第1次ソ芬戦争(冬戦争)は、1939年11月30日に始まり、1940年3月12日のモスクワ講和条約により3ヶ月で終結した。フィンランド軍は奮闘し国家の独立を維持したものの、カレリア地方などをソ連へ割譲し、ハンコ半島を租借地とすることを余儀なくされた。フィンランドは大幅に領土割譲,北極海への出口も割譲した。
1941006 1940年6月、バルト三国に対しソ連がドイツとの秘密協定に基づいて侵攻、8月にリトアニア、ラトヴィア、エストニアを相次いでソ連邦に加盟させた(実際的な併合)。
194006xx ソ連ルーマニア併合。ベッサラビア
黒海に面し、ドニェストル川・ドナウ川・プルート川に挟まれた一帯で。1940年6月、ソ連がドイツとの秘密協定に基づきルーマニアに割譲させ併合した。当時石油の大産地。蘭領東インド(インドネシア)を上回る。ドイツ軍はこの石油で動いていた。特にルーマニア併合派石油の大産地、ドイツへの供給源だったのでドイツの死活問題だった。
世界の石油生産と貿易1935年 生産量10*3b/d
米国 2732
ソ連500
ベネズエラ408
ルーマニア168
蘭領東インド129
メキシコ110
イラク75
イラン57
北樺太8
日本への輸出原油/製品
米国28/25
蘭領東インド2/24
後日満洲チチハルの西で大油田が発見された(戦後 中国,大慶油田)が日本にはそれを発見する意志と国力がなかった。日本にとって痛恨の能力欠如だった。
(レーダー技術は技術能力だが石油採鉱能力は意志の問題だった、樺太では発見していた)ただし当時、上記にはサウジアラビヤの大油田もまだ発見されづ、リビヤ(イタリア領)、アルジェリア(フランス領)の油田も未発見だった。それぞれ当時の国力による。
満洲では南部で鉄鉱石、石炭は開発した。
194103xx 米国デンマーク領グリーンランド進駐 対独戦争準備
194103-04 駐独大使等独ソ開戦まじかを日本に頻繁に連絡
外相松岡それは独の対ソ恫喝だと攻撃ではないと
19410413 松岡日ソ中立条約
日本、陸軍武藤軍務局長対米和平は米側の案丸のみでも良いと。
陸軍参謀本部田中作戦部長は対米戦やむ無しと東條陸軍大臣は武藤案に近し
19410415 同上近衛内閣合意意志
ハル野村に日米了解案提出ハル4原則プラス 満洲国承認、中国一部駐兵含む。ハワイでの首脳会談 ハル4原則(1.領土保全と主権尊重、2.内政不干渉3.機会均等4.太平洋の現状維持(平和的手段による変更を除く))
19410425 松岡日米了解案を拒否
1941xx 独、グリーンランドアイスランド以東は戦争範囲と決定対英輸送船を攻撃
194103xx 米国兵器供与法成立(レンドリース
法:2022年のウクライナ戦争でも適用)、対英無限軍事援助、独ソ開戦後、対ソ連無限軍事援助、対中国、蒋介石への大規模軍事援助(従来の英国、米国、ソ連の対蒋介石支援を大幅に上回る)
ドイツの対ソ開戦準備(この項「独ソ戦」大木毅氏著による)
ヒットラーの政治構想
ヒットラーは「我が闘争」に書いているように1923年のミュンヘン一揆から1945年ベルリンで自殺するまで一貫してソ連を打倒、東方植民地帝国を建設するという政治構想を追及していた。豊富な資源や農地を有する空間「生存権」を確保しなければゲルマン民族の生き残りはかなわない。
そのためには東方のソ連を征服して、ドイツの支配下に置くことが必要不可欠である。しかし第一次世界大戦で証明されたようにイギリスとソ連を同時に敵に回して、二正面戦争になればドイツは再び敗北することになるだろう。したがって、イギリスを同盟国とする、もしくは中立国にしなければならない。この戦略はチェコの併合まではうまくいった。ドイツのポーランド侵攻でイギリスが対独宣戦布告とは意外であった。
ヒットラーの対英戦争フランス攻略後ヒットラーはイギリスに講和を提案したが、イギリス首相、チャーチルはにべもなく拒否した。そこで対イギリスの航空戦が始まったがイギリスはてごわで決着はつかず1940年8月、ヒットラーはイギリス攻撃を中止した。ソ連征服の後とした。
対ソ調停構想
日独伊蘇同盟構想1940年11月12日、ドイツ外相リッペンとトロップはソ連外相、モロトフに日独伊蘇同盟を結んで、大英帝国を解体するとのプランを、提案、両国の軋轢(上述の秘密議定書のフインランド、バルト三国、ルーマニア)を解消しようとした。ところがモロトフはリッペントロップの案を一顧だにせず、秘密議定書の規定を忠実に履行すべきと求めるのみだった。ここでヒットラーは独ソ戦やむ無しと決断するに至った。
ドイツの対ソ開戦準備
ドイツはポーランド侵攻に備えて、独ソ不可侵条約締結とみられているが、本意はそれだけではなく、フランス攻撃時の背後の安全のためであった。独ソ不可侵条約があってもソ連はドイツ攻撃をする可能性があると、ドイツ国防軍およびヒットラーは考えていた。特に上記したようにソ連のフィンランド戦争、バルト三国併合、ルーマニア併合を見れば、ソ連が国境を西に動かしているのは明らかだった。1939年9月27日独ソ不可侵条約を破ることには、ヒットラーは「国益
は条約を上回るといった」。そのためフランス降伏後、直ちに陸軍総司令部(OK
H)
は、第18軍を東部の守備につかせ増強を命じた。(19400626)18軍と陸軍は、ソ連がバルト三国への侵入、だけでなくドイツにとり死活的重要な油田のあるルーマニアが脅威にさらされた場合には対ソ開戦を覚悟し、作戦を練っていた(マルクスプラン)。さらに国防軍最高司令部(OKW)
はヒットラーの対ソ開戦意志を知り、対ソ攻撃作戦計画が研究されていた(ロスベルクプラン)。陸軍参謀総長ハルダーはこういった作戦計画をまとめ上げるように陸軍参謀次長パウルス中将に指示した(19400903)この作戦計画パウルス案は10月29日ハルダーに提出された。パウルスは計画の実効性を示すため、3回の図上演習を行い、修正しさらにヒットラーの意見を入れて最終案となった。これがバルバロッサ作戦である。ヒットラーは1940年12月18日、バルバロッサ作戦命令を発した。
米国グリーンランドアイスランド西端アゾレフ諸島以西は米艦隊防衛範囲と決定、対独戦を想定、米軍対英輸送船を防御開始
米国、ドイツ戦争は必至となる
近衛第二次内閣松岡を外す
1941051x 近衛内閣日米了解案の修正をハルに提出
1941051x 英米大西洋会談
なお、日米戦争は中国の市場の争奪をめぐる戦争だったと思われているが正確ではない。
実際はイギリスとその植民地の帰趨をめぐって始められたのである。
(結果論だが英国の歴史家、アーノルド・トインビー
英国の歴史家、アーノルド・トインビーは、日本について 「日本は米英を一時打ち破り、植民地帝国を解体へ追い込んだ。 大東亜戦争でアジア諸国民のためになる働きをした」
日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。)
大東亜戦争敗戦後アジア諸国の首脳発言
19410515 ハル野村に日米了解案提出 満洲国承認、中国一部駐兵含む日本修正案を拒否似ても似つかないハル案を提出
19410622 ドイツソ連攻撃黒海から北氷洋までと駐独大使に説明
19410707 米国デンマーク領アイスランド進駐、対独戦必至
194007xx 米国、戦争準備「勝利計画」陸海総兵力1000万人、輸送船、1800万トン、 空軍対独7000機対日6000機空母艦載機15000機、海軍艦船、140万トン、この完了に1.5年から2年。本格攻撃は1943年7月1日に
19410724 日本 南部仏印進駐
19410802 米国 対日石油くず鉄全面禁輸在米日本財産凍結。
日本石油輸入、米から75%、残りは,蘭印、北樺太。
194108xx 参謀本部田中作戦部長関東軍特別演習85万戦時体制へ北進論北方問題解決策
19410905 近衛対米英戦争決意
19418xx 独軍モスクワ400kmに到達、ヒットラー目標変更石油確保のためロシア南部攻撃へ
日本近衛内閣 対米交渉ハワイ首脳会談案対米案は従来通りも、首脳会談で米案丸のみ、天皇の裁可を得て。これが漏れ近衛内閣崩壊
194109xx 独軍再度モスクワ攻撃へ
XX近衛内閣対米交渉いきずまり総辞職東條内閣へ
194110 東條内閣島田海相対米戦了解
194110xx ロシア冬将軍早期到来活発化。
ロシア極東軍、西部への移動は3分の1のみ。日本の北進論警戒。
極東ソ連軍30個師団、戦車2700両、航空機2800機,独ソ開戦時。日本関東軍、12個師団、戦車450両、航空機720機(関東軍特別演習時前、関東軍特別演習増強を考慮してもソ連軍より圧倒的に少ない)
東條内閣対米戦決意白紙還元。
194005xx 日独伊三国同盟
日本対米戦争は不可、国力日本は米国の20分の1(実際は12分の1)
日米海軍比率対米推定、1941年 0.75,1942,0.65.1943,0.5.1944,0.3.と全く歯が立たなくなる。
航空機のみに限れば1942年から1944年の間でアメリカは日本の5倍前後であり、海軍機に限れば10倍程度になる。
石油備蓄量が平時の2年分しかなく戦時では1.5年程度だ。
輸送船推定、1941,650万トン、開戦3年目に年、0!!に
これらを総合すると開戦するなら早期開戦しか道はなかった。1941年末までが条件だった。
日本がアメリカと戦うためには対米比率が有利な時期に開戦し、初期作戦において米艦隊に大打撃を与える、それのみが対米戦長期持久戦を戦える見込みであった。翌年春になれば北方ソ連軍が自由に行動できるようになり、南方武力行使は、背後の問題があり危険であった。北方の安全が確保される1942年冬を待てば対米艦船比率や石油備蓄量等の条件からもはや勝ち目はない。開戦するとすれば1941年末しかなかった。
194111xx 東條内閣。対米。米案丸呑み。南部仏印撤退、米国は日本に石油を供給する。米援蒋停止、アメリカに提出
下記 乙案
米ハル国務長官。同案を評価受け入れ可能と、
ハル暫定案作成。南部仏印撤退、石油禁輸解除は3か月とし延長条項。米援蒋停止触れず 英、中、蘭に通知と
中國反対、チャーチルは中国に同調、
米ルーズベルト大統領チャーチルに同意
19411127 米国、 いわゆるハルノート日本に提示中国からの全面撤退三国同盟脱退
実質対日開戦
ハルノート。ハル4原則の無条件承認、中国・仏印からの無条件全面撤兵、南京汪兆銘政権の否認、三国同盟義務からの離脱
今までの日米交渉経緯を全く無視した、ちゃぶ台返し。
東郷茂徳外相は誠意の人だった。
「ハルノート」を受領したとき、「自分は目も眩むばかりの失望に撃たれた。」と述べ、「米国が今までの経緯および一致せる範囲をすべて無視し、従来とった、最も強硬な態度さえ超えた要求をここに持ち出したのは明らかに平和的解決に到達せんとする、熱意を有しないものであり、ただ日本に全面的屈服を強要するものである。(略)これは日本の自殺に等しい。(略)もはや立ち上がる外ないということであった。」とA級戦犯としてとらわれて、獄中で病死する前に記した。開戦の詔勅が「今や不幸にして、米英両国と戦端を開くに至る、まことにやむを得ざるものあり豈朕が志ならんや」と述べ、「ことすでにここに至る帝国は今や、自存自衛のため、決然起って一切の障害を破砕する、の外無きなり」という言葉が続く・・・。
19411201 独軍モスクワ前40km到達
日本対米英開戦ニイタカヤマノボレ
1941208 ソ連シベリア軍団対独戦に到着反撃開始
日本軍0630マレー半島上陸開始0730ハワイ攻撃開始0800対米国交断絶通知。対英米宣戦布告
ここに書いた情報は次の資料による。
1.昭和陸軍全史3(川田 稔著)を中心として
2.独ソ戦 大木毅著
3.なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287)
加瀬 英明 、 ヘンリー・S・ストークス
4.あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)
保阪 正康
5.大東亜戦争を敗戦に導いた七人 単行本 ? 2015/6/26
渡辺 望 (著)
6.公文書に見る「日米交渉」開戦への経緯
https://www.jacar.go.jp/nichibei/digest/index.html
昭和16年(1941年)11月5日、第7回御前会議が開かれ、アメリカに対する2種類の要求案(甲案・乙案)が決定されました。
資料1はこの甲案・乙案の全文です。
甲案では、(1)日本は、通商の無差別原則が全世界に適用されるという前提の下に、太平洋全域及び中国における通商の無差別原則の適用を求めること、(2)日独伊三国同盟の解釈については、「自衛権」のみだりな拡大をしないことを明確化するとともに、従来通り日本政府独自の解釈に基づくこと、(3)撤兵問題については、中国からの撤退では華北及びモンゴルの一部と海南島に関しては日本・中国間の平和条約成立後およそ25年を目処として駐屯するが、それ以外の地では2年以内の完全撤退を目指し、仏領インドシナからは日中戦争が解決するか極東の平和が確立ししだい直ちに撤退すること、が示されました。
乙案では、(1)日本・アメリカ両国は仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力的進出を行なわないこと、(2)両国は蘭領インドシナにおいて物資獲得が保障されるように相互協力すること、(3)両国は通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させること、(4)アメリカは日本・中国の和平の努力に支障を与える行動をしないこと、の4点が成立すれば必要に応じて南部仏領インドシナに駐屯する日本軍は北部仏領インドシナに引き揚げることを示しています。
戦争目的 ドイツ
人種的に優れた「ゲルマン民族」が「劣等人種「スラブ人」を奴隷化するための戦争
戦争目的 ドイツ
世界観戦争
人種的に優れた「ゲルマン民族」が「劣等人種「スラブ人」を奴隷化するための戦争、ナチズムと「ユダヤ的ポリシェヴィズム」とした。「世界観戦争」世界観戦争とは「皆殺し闘争」すなわち「絶滅戦争」この認識はヒットラー、ナチスだけでなく、濃淡の差こそあれ国防軍も共有した。
清潔な国防軍は 否定された
ナチス政権の外務省報道官だった筆名「パウル・カレル」が戦後「清潔な国防軍」を偽証、伝説を広めた。
清潔な国防軍は 否定された かっての西ドイツ高級軍人はナチと国防軍は違う。国防軍はナチ犯罪に加担していない「清潔な国防軍」伝説を広めた。
戦争目的ソ連
スターリンの指導者は、共産主義で世界を支配
戦争目的ソ連
スターリン以下の指導者は、共産主義と愛国心を融合させ危機を乗り越えようとした。ナポレオンを退けた「祖国戦争」になぞらえ、ファシストの侵略者を撃退しロシアを守るための「大祖国戦争」であると規定した。対独戦は道徳的・倫理的に許されない、敵を滅ぼす聖戦。ドイツ側が住民虐殺などの犯罪行為を繰り返し行ったことへの、報復、感情を正当化した。対独宣伝に従事したソ連の作家、エレンブルクはソ連軍の機関紙「赤い星」に次のように書いた。「あなたがドイツ人を一人殺したら、次の一人を殺せ、ドイツ人の死体に勝る楽しみはないのだ。」このようにソ連軍の戦時国際法を無視した、行動もエスカレーションしていった。
戦争目的日本
大東亜戦争。自存自衛のための戦争。白人植民地の解放。ABCD包囲門打破、大東亜共栄圏、自給自足圏の設立
。
戦争目的アメリカ
中國支配及び白人の植民地保全。
戦争目的アメリカ
ハルノート。ハル4原則の無条件承認、中国市場への公平な門戸開放。中国・仏印からの無条件全面撤兵、南京汪兆銘政権の否認、三国同盟義務からの離脱
戦争目的 イギリス
大英植民地帝国の維持。インド、ビルマ、マレー、ボルネオ。アフリカ
詔書
天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
御 名 御 璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
「大詔を拝し奉りて」(たいしょうをはいしたてまつりて)とは、
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦に際し、
昭和天皇の名により「対米英宣戦の詔勅(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」が渙発されたことを受けて同日午後7時過ぎ、内閣総理大臣・東條英機がラジオ放送を通じて日本国民に向けて実施した戦争決意表明演説である。日本ニュース第79号に映像が残っている[1]。
本文
※( )は前の漢字に対する読み仮名。仮名遣いは現代仮名遣いに改めた。テキストは『日本ニュース』映像およびこれを掲載したNHKウェブサイトに基づく。
只今宣戦の御詔勅が渙発せられました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘(かかわ)らず、遂に決裂の已(や)むなきに至ったのであります。
過般来政府は、あらゆる手段を尽し対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英、蘭、支と連合して支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。これに対し帝国は飽(あ)く迄(まで)平和的妥結の努力を続けましたが、米国は何ら反省の色を示さず今日に至りました。若(も)し帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。
事茲(ここ)に至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うする為(ため)、断乎として立ち上がるの已むなきに至ったのであります。今宣戦の大詔を拝しまして恐懼(きょうく)感激に堪(た)えません。私は不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々(ただただ)宸襟(しんきん)を安んじ奉らんとの念願のみであります。国民諸君も、亦(また)己が身を顧みず、醜(しこ)の御楯(みたて)たるの光栄を同じうせらるるものと信ずるものであります。
およそ勝利の要訣(ようけつ)は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗(か)つて戦いに敗れたことを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります。顧みれば、我等は今日まで隠忍、自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧(おそ)れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、蹶然(けつぜん)起(た)たざるを得ないのであります。
当面の敵は物資の豊富を誇り、これに依て世界の制覇を目指して居るのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、当然長期戦たることを予想せねばなりません。これと同時に絶大の建設的努力を要すること言を要しません。かくて、我等は飽くまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、如何(いか)なる困難も障碍も克服して進まなければなりません。是(これ)こそ、昭和の御民(みたみ)我等に課せられたる天与の試錬であり、この試錬を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担うことができるのであります。
この秋(とき)に当り満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々(いよいよ)敦(あつ)く、独伊両国との盟約益々堅きを加えつつあるを、快欣とするものであります。帝国の隆替(りゅうたい)、東亜の興廃、正に此(こ)の一戦に在り、一億国民が一切を挙げて、国に報い国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇と為す皇謨(こうぼ)の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、英米と雖も何等惧るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威(みいつ)の下にありと確信致すものであります。
私は茲に、謹んで微衷を披瀝し、国民と共に、大業翼賛の丹心を誓う次第であります。
大東亜共同宣言(だいとうあきょうどうせんげん、旧字体:大東亞共同宣言)は、1943年(昭和18年)11月6日に大東亜会議にて採択された共同宣言。大東亜宣言とも。
概要
東京・帝国議事堂で同年11月に開催されたアジア地域の首脳会議の2日目に満場一致で採択された。採択後にビルマ国代表のバー・モウ内閣総理大臣が「自由インドなければ自由アジアなし」とインド独立を支持する意見を述べ、陪席者(オブザーバー)として出席した自由インド仮政府のチャンドラ・ボース首班が自由インドの確立を表明した[1]。次いで日本の東條英機内閣総理大臣が自由インドへの強い支援を会議で表明、大東亜会議は閉会した。
参加国
日本 : 東條英機内閣総理大臣、外務省・大東亜省などの各大臣、総裁、書記官など
中国 : 汪兆銘国民政府行政院長、行政院副院長、外交部部長など
タイ : ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)、外務省など
満洲 : 張景恵国務総理大臣、外交部大臣、特命全権大使など。
フィリピン : ホセ・ラウレル大統領、外務大臣、大統領秘書など
ビルマ : バー・モウ内閣総理大臣、特命全権大使、外務次官など
インド:チャンドラ・ボース(首班)、最高司令部参謀長など
宣言全文
原文
大東亞共同宣言
'
抑?世界各國ガ各其ノ所??ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦??共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平??和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽??クナキ侵??略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望??ヲ逞ウシ遂??ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂??シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平??和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道??義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊??重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊??重シ各民族ノ創造??性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ攝iス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資??源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス
口語訳
そもそも世界各国がそれぞれその所を得、互いに頼り合い助け合ってすべての国家がともに栄える喜びをともにすることは、世界平和確立の根本です。
しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜(東アジア全般)に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむきだしにし、ついには大東亜の安定を根底から覆(くつがえ)そうとしました。大東亜戦争の原因はここにあります。
大東亜の各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、大東亜諸国を米英の手かせ足かせから解放し、その自存自衞を確保し、次の綱領にもとづいて大東亜を建設し、これによって世界の平和の確立に寄与することを期待しています。
大東亜各国は、協同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲よく助け合って、大東亜の親睦を確立します。
大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高めます。
大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進します。
大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献します。
フライングタイガースは国際法違反ですか?
ID非公開さん
2016/4/5 19:57
1回答
フライングタイガースは国際法違反ですか?
なんという法でしょうか
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sou********さん
2016/4/6 0:18
1907年ハーグ陸戦条約[第5条約(中立に関する条約)]
◆中立国は交戦国に対して援助してはならない(避止義務)
補足
交戦当事国の立場を対等と見る無差別戦争観の時代は、交戦当事国双方に公平に援助・敵対しないという中立の考えに適合するものであった。戦争の自由が認められていたこの時代では、中立は戦争を局限にとどめ、通商を確保すると言う要求に応えるものでもあった。
中立国の米国が支那(蒋介石政権)支援のために実行したフライング・タイガース部隊派兵は、戦時国際法の中立条項に違反するため国際法違反ですね。これはルーズベルトが米議会を通さずに極秘裏に実行した秘密作戦です。
また、1935年に米国議会で成立した中立法もありました。
倉前盛通氏著『悪の論理』より一部引用
『昭和16年6月、ドイツがソ連と戦端を開いたとき、米国のルーズベルト大統領は、いよいよ、欧州の大戦に介入すべき時が来たと判断した。
当時、米国には中立法という法律があり、海外の戦争に介入することを禁止していた。欧州でナチス・ドイツと英仏の間戦争がはじまり、フランスが降伏し、英国もドイツの猛烈な空襲と、ドイツ潜水艦による通商破壊戦のため、絶体絶命の危地に陥ってしまった。ルーズベルト大統領としては、この英国の危機を救うために、何とかして、欧州の戦争に介入してドイツと戦いたいと焦慮したが、中立法があるために意にまかせなかった。
しかし、米国は昭和15年、50隻の駆逐艦を英国に売り、その代償としてバミューダ島の永久租借権を得た。これは明らかに中立国としての国際法違反である。
その上、米国駆逐艦によって、英国商船隊の船団防衛をおこなった。これは、もはや米国海軍の直接的な公然たる戦争介入であった。
ヒトラーは米国の挑発に乗らぬようドイツ潜水艦に厳命を下していたが、米国駆逐艦による不法な爆雷攻撃が、あまりに執拗に続けられたので、たまりかねて、正当防衛のため、ドイツ潜水艦が米駆逐艦を撃沈してしまうという事件が発生した。
ルーズベルトは、こおどりして喜び、早速、議会に対し、「ドイツ潜水艦の不法攻撃のため、米駆逐艦が撃沈された。ただちにドイツに宣戦しよう」と提案したが、米議会がよく調べたところ、中立法を破って英国船団を護衛していたのは、米国の軍艦であったことが判明し、かえって、議会から「悪いのは米国海軍の方ではないか」とやっつけられ、ルーズベルトの目算は外れてしまった。
そこで、次に目をつけられたのが日本であった。』引用おわり
ちなみに、有名なハル・ノートも米議会を通さずにルーズベルトの独断でやってます。ヤルタ会談(ヤルタ合意)も米議会を通さずに独断でやりました。
米国「ん?国際法?そんなもん知ったこっちゃないね」
英国「ふんふんふふ〜ん♪」
日本「そりゃないだろ(怒)」
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