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自分史
Minha terra natal
Senhores e Senhoras,hoje eu bou falar sobre minha segunda terra natal.Minha primeira terra natal e espirito sant brajil., Eu sou capixaba.
Hoje eu bou falar sobre historia da segunda minha terra natal.Por que?
Voce sabe onde e metropolis do Japao? Agora e tokyo. No japao houve alugumas metroporis como tokyo, kyoto and nara.
Definicao do metoropolis no Japao e endereco do emperador. Por isso na era do Edo (nome antiga do tokyo) Edo nao foi metropolis embora shogun do edo bakufu tinha governo,muito forte. Mesmo foi Cidade de kamakura (goberno de shogun do kamakura ) Entretanto Minha segunda terra natal era metopolis do Japao. Voces podem acreditar? Ninguem sabi esta fato..
Minha segunda terra natal e ASAKURA, centro de norte do kyushu. Cerca de 1,350 anos atrais. ASAKURA era exatamente metropolis .
Emperadora SAIMEI TENNO morandoe e Governo japonese . Naqelle epoca O japao tinha muito greves situacao com estrangeiros ,China e koreia .
Parte da peninsula koreiana era teritorio do Japao.Mas O Japao perdeu este territorio por causa de ataca de militares SHIRAGI. Pais fraterias na koreia KUDARA era atacado pela China e SHIRAGI e quase morrer KUDARA ardentemente muitas veses pediu para japao para salvar -la.
Emperadora SAIMEI TENNOU decidiu de salvar -la. Ela partiu da metorpolis NANIWA(agora OSAKA) e MUDOU Metropolis para ASAKURA, militares Japnese lutou com militares chines na HAKUSUKINOE na Fos de RIO na oeste de centro da peninsura koreia .
Mas Japao foi derrortado. Apos de este Derrortado
O japao retirou da koreia completamente.
Governo japonese construiu muitos casteros da defensa.Agora ha muitos casteros construidas naqurra epoca.
Muitos pessoas de orinetal como KANTO foram emviadas para kyushu como defensores(chamadas SAKIMORI) Mas militeares chines nao veram para Japao.
Mais ou menos 1,700 anos atrais EMERADORA GINGU KOUGO atacou pais do kyushu e thinha grande victoria para rei do kyushu,na ASAKURA e construiu shurain MINAGI jinja
Naqulle epoca sul da peninsula da correa era teritorio do pais do kyushu. A EMPERADORA JINGUU KOUGO atrebasando mar ,estreito de TUSHIMA e cooreia e governaou area de sul do peninsula da coreia sem gerra. Ela estabereceu YAMATO CHOUTEI(governo japonese)
Na historia do emperadores do Japao, e muito raro da emperador de mulher, Duas emperadoras eu falei aqui e fundadoor do japao.
AKINOTANO KARIHONOIHONO TOMAWO ARAMI WAGA KOROMODEHA TUYUNI NURETUTU
Este e muito famoso mujica japonesa ,foi cantardo EMPERADOR TENTITENNOU , filho da EMPERADORA SAIMEITENNOU no metropolis ASAKURANO MIYA(palacio de asakura)
ASAKURA YA KONOMARUDEN NI WAREOREBA NATUGE WO SHITUTU IKUWA TAGAKOZO
Este e tamben musica de TENTITENNOU na ASAKURA.
ASAKURA e minho espirito santo,mina primeira terra natal e espirito santo no barasil eu sou capixaba.
以下病状が類似のため借用個人的メモのため ちなみに私年齢75歳以上、病状は前立腺癌フェーズ4。発見は 2021/3/11血尿。検査で発見発見時PSA3300グリソン、スコア 5+4で9膀胱リンパ腺転移。骨、内臓転移なし ホルモン療法+外部放射線13回。注射月1回、内服薬毎日。 【癌ノート】Mr.YK著 Mr.YK癌との一手
PSA 2007/3/2 4.40 2007/10/1 5.08 2008/3/4 7.26 主治医 癌の疑いあり 放置はまずい あなたが75歳以上であれば放置をお勧めします。75歳過ぎですと、癌の進行も遅く、前立腺癌で死亡するよりも、他の要因つまり脳出血とか心筋梗塞とか、交通事故とかの死因も考えられます。放置していても、死に至るよりは違うことになりそうですから。(64歳) 放置だけはいけません。あなたはあと10年は社会的に活躍すべき人です。ですから、何らかの処置を講ずる必要があります 僕 自分で調べる 痛風は 尿酸 7.0 PSA は4.0 生検 泌尿器科 12か所 4か所アウト グリソン。スコア 3+3で6 低リスク 骨シンチグラフィー 骨に転移か MRI 転移なし 骨は癌ではない 主治医 前立腺撤去を推薦 僕 自分で調べる 6/30まで 小線源療法 高線量率組織内照射(HDR)治療法 2008/7/18 切らずに済ませる PSA 7.54 男性ホルモン抑制注射 2回 2008/10/27 放射線外部照射治療開始 11/28まで 15回 週3回 5週間 高線量率組織内照射(HDR)入院治療 2008/12/15
結果 担当医 治療は成功です 治療翌日 それぞれの担当医の先生方が病室まで来てくださりました。 治療は非常にうまくいったとのことでした。 退院 2008/12/29 経過観察 泌尿器科 放射線科 PSA 0.90 今後月1回PSA検査予定 テストステロン/PSA 2008/7/18 397.6/7.51 ホルモン注射 8/22 8.9/2.98 ホルモン注射 9/19 8.8/5.63 10/3 6.9/4.79 2008/1/13 テストステロン/PSA 18.7/0.43 担当医 再発のリスク 癌が治癒したと判断できるまでは5年でも不十分で、10年、15年と長い経過観察が必要 2009年秋 2009/9/6前立腺がんシンポジウム 私が受けた治療法はまだ最先端すぎるのか全く話題に上りませんでした。 癌になったことは不幸ですが、現在は尿漏れも性勃起障害もなく、順調な生活を送っています。 夜のほうも年相応に元気です。 <<<<<<>>>>>
結果
https://www.narinari.com/Nd/20121219965.html Twitter 2012/12/6 鳩ポッポ。菅カラカン。どじょう総理。ツイッターで取り上げた民主党政権も16日迄みたいだね。 2012/12/5 XXXがミサイル発射とか。ブラフなのか本気なのか。読み筋が合わないので、みんな困っているようです。 2012/12/4 遺骨を本妻に渡さない女性在りけり。新しい男性が現れて遺骨は捨てられたという話です。 2012/12/3 新聞各紙で選挙の世論調査公表。一紙だけ世論操作の新聞があるようだ。どこでしょうかね。
2008年に前立腺がんを患い、2009年1月に公式ホームページで公表していた。 https://www.narinari.com/Nd/20121219965.html 公式ホームページでは頻繁に日記を更新しており、最後の更新は11月25日付けの「最後の時」と12月2日付けの「最後の時(2)」。その中で「最近、自分はいつ、どのような形で人生を投了することになるのか考えるようになりました。一日でも長く、大いに笑い、健康な日々を過ごしたいと願ってはいるのですが、いつかは必ずその日がやってくることも覚悟しておかねばならない」と胸中をつづっていた。 https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/64267/ 2012年12月21日 16時00分 ダンディーさと奔放な言動で知られるXXXX連盟会長のYKさんが18日朝、前立腺がんのため東京都新宿区内の病院で逝去した。69歳だった。棋士として、同会長としてYKさんほどXX界に多大な影響を与えた人はいないだろう。 YKさんといえば"悲願の1000人斬り"だ。出版関係者は「19歳で1000人斬りを決意し、毎日バー通いし、380人までは詳細に日記につけていたそう。その後は適当になったが、50歳の時の愛人に『キミが583人目の女だよ』と言ったのは、十数年前の雑誌で騒がれました。結局、750人くらいまではいったそうです。どっかのインタビューで、若いころに戻れたら何をしたいという質問に『もっと早く1000人斬りを始めればよかった』と答えてました」と語る。 https://textview.jp/post/hobby/3503 しかし、2012年の初夏を迎えたころ、目に見えて衰えが感じられた。挨拶をしても「おうおう、元気でやっておるかね」というお決まりのひと言が聞かれなくなり、公の場に姿を見せることがめっきり減った。 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000188031 将棋の天才たち 「棋士の愛した駒たち」(2012年10月20日号〜2013年1月19日号)から抜粋・編集したもの。発売日 2013年01月31日
Sr.kawabata。 1935年生まれ 2009年3月 PSA 5.6 T2B、片方に存在して、その半分を超える。72. 4月 全摘出手術。部長医師、"完治レベルだ!"と元気良く叫んだのを今でもはっきり覚えている。やれやれ助かった。手術してよかった、と私も胸をなでおろした。PSAは0.04まで下がっていた。 癌は神経の切り口にほんのわずかに残っていると。 6年かかってゆっくりゆっくり癌は這い上がってきたのだ。 以後、1か月に1回程度経過観察、6年間続く、血液検査。 自覚症状なし 検査異常なし
2014年8月、リンパ腺4か所にがん転移判明。心臓の冠動脈狭窄、カテーテル手術 手術で原因不明の発熱。原因調査のため「ガリウムシンチグラフィーという検査、アイソトープを飲んでCT撮影。リンパ節から細胞が取り出されて検査。78歳。 全身へのリンパ節4か所に転移。「傍大動脈リンパ節転移」「骨盤内転移」「「骨盤内及び椎骨内転移」1番目と3番目に赤画像。自覚症状、まったくなし。骨には転移なし。(骨シンチグラフィーは撮っていない) 「これはあなただけに言っておきますが、今年、4月に厚労省が発表したのですが、がんの進行がPSAの数値と必ずしも連動しない場合があるということです。」 そうだとすればこの5年半PSAの数値に一喜一憂していたのは、ほとんど無意味になってしまうではないか。 全撤去手術後のPSAの値は0.04からせいぜい1.5までの値であった。グリソンスコアは高く9であった。
余命1〜2年と。がん専門病院で長く泌尿器科部長、現在嘱託医。「これは抗ガン治療がいいでしょう。化学療法でともかく癌を小さくすることです。遠隔転移も4か所に渡っていますね。ですから手術はもちろんのこと、放射線治療も勧められません。」遠隔転移ですからあと余命1〜2年と。ホルモン療法は検討外か。 後期高齢者への抗がん剤治療は苛烈な副作用が発生する場合にはやらないほうが良い。との情報もあった。 抗ガン剤治療以外に方法なし。ドセタキセル商品名「タキソテール」。自覚症状なし。78歳。14年、秋10月、点滴入院。左腕の静脈に天敵の針。 吐き気止めの薬液、抗がん剤、生理食塩水の順序。 副作用、口内炎、歯磨き5回/日。味覚障害、背中の疼き、疼痛抑制剤、セレコックス(ロキソニン)痛み止めの薬剤、3種類。アミノフェロン、師範。NSAIDS,セレコックス。医師の処方。医薬用麻薬、モルヒネ。抗がん剤点滴後、1週間は排泄系の副作用。白血球を増やすための注射で通院。手足症候群、2週間目、口内炎、味覚障害。ある夜、ハラ一面に赤い斑点、kすりの副作用セレコックスをやめると収まった。これから緩和ケア科。セレコックスからコカールへ。朝、昼、夕、と背部の痛みは残った。食後。4回目の点滴、白血球を増やす薬。で年末。年初CTへ。2月、がんは小さくなっていますね。と力強く、主地位抗がん剤後3回追加。緩和ケア科、背中の痛みは変わらず。薬の変更、コカールからカコナールとトラマールODの2種類1週間後副作用、体のあちこちに赤い斑点,かゆい。体の左右対称3がつ点滴、妙漏れ。全適語6年間、みょうめれ対策でパッド。白血球の増量注射ノイトロジン後、副作用、頭髪が抜け始めた。さらに、味覚障害と、倦怠感朝食事後すでにベッドで横たわる、体たらく。解決法なし。倦怠感のメカニズムは当時不明。4月、7回の抗がん剤点滴終了癌はあまり小さくなっていなかった癌は底を打った、42から22,28へ中休みへ。脱毛でスキンヘッドも。女性ならウイッグ?。抗がん剤をやめたら体調がよくなった。抗がん剤には二面性、がんと闘うとともに正常な細胞も殺す抗がん剤といえば、倦怠感8月、9回目の点滴、白血球のための注射。副作用、下痢、便秘、口内炎、味覚生涯、発疹。トイレ、洗面所、浴室、ベッドの上で過ごすことが多くなった食欲は減退しないビールを飲むと。湿疹とかゆみ。9月、10回目の点滴。CT1回目の抗がん剤点滴は1年前の14年10月1日。78から79へ、11月には80、CT,癌は22mm力強くなった。その日、、11回目の点滴希望。平穏な日々。16年3月、血便泌尿器科で血便を止める薬癌が直腸に浸潤して血便。16年5月、強い背部痛。6月、骨しんちぐらふぃー。。背部肋骨、背骨、骨盤骨など3か所にがんの骨転移。骨転移の処置は骨を創る細胞を強化するランマークという皮下注射を4週間に1回。抗がん剤点滴しても癌は侵攻。8月さらに、、骨しんちぐらふぃー。骨転移は広がっている。9月から再度抗がん剤点滴。。4回やって、12月、検査。。転移して2年余り。。精神的な打撃やその他をさらに書きたかったが、気力、体力、持続力が持ちそうもないので、、ここでおわりとしたい、。痛みは緩和ケア科で処置してもらった、2種類を継続、何とか抑えている。。、 2014年、9月。抗ガン剤、点滴入院。鎮痛剤処方のため、緩和ケア科でも治療。コカール。次にカロナールとトラマールOD。副作用多し。 抗がん剤のために多くの白血球が動員され、体内のいたるところで戦争が行われている。抗がん剤、がん細胞、正常細胞(白血球がその戦士となる)白血球が打ち負かされその補給のために白血球補給剤を筋肉注射で打つ。ノイトロジンという薬剤。 2015年10月まで11回点滴。 当初42ミリであった最も大きなリンパ節のがん細胞が、26,28.そして、22ミリに縮小、ct検査で。以後経過観察。ホルモン剤などは投与。 2016年3月、 血便 2016年5月。背部に強い痛み。 2016年、6月、骨シンチグラフィー検査。骨転移、判明(背部肋骨、背骨、骨盤骨、)治療するも好転せず。背部の痛みのため鎮痛剤を常用。 2016年、8月。骨転移やや広がる。(多発性骨転移:胸推、両側肋骨、骨盤骨、右大腿骨骨頭)鎮痛剤増やし痛みコントロール。 2016年9月。抗がん剤治療再開。 2016年12月。4回治療後に、骨シンチグラフィーにて効果測定の予定。80歳。
SR.ishi 増税なくして財政再建なし。日本のがん 1937年生まれ 2010年1月19日 癌研有明病院にて前立腺の全摘除手術。手術全PSA2.8.健康診断で発見。1998年から毎年PSAを測定0.8から3.08.2007年から生検も実施。2009年8月。全身麻酔で生検14か所、直腸から6か所、会員部から8か所。8月20日、がんと判明。「残念ながら癌でした」T2A.癌は前立腺の左の片葉に限定。グリーンスコアは3+3つまり6ないし7.悪性度に関しあまり深刻に考える必要はない。転移の有無のチェック。CT(コンピュータ断層撮影)と骨シンチグラム。9月7日結果「転移なし」2010年、1月18日入院手術へ。全身麻酔と硬膜外麻酔の2種類。手術は2時間半。12時間かかる人も。前立腺全撤去。大きさ左右40mm、楯25o。暑さ25o。ハート形。先生より、手術は順調に終わったとのこと。前立腺を直腸からうまく剥がせたとのこと。リンパ腺への転移はなかったとのこと。自分の血液800cc採決、使用500ないし600cc。尿道の機能が確かめられた。どうやら異常はなくOKのサインが出され、尿道のカテーテルも即座に外された。尿漏れ対策。肛門括約筋体操。尿漏れ改善運動。磁力での排尿機能。1月29日退院、足掛け12日入院。しっつこい痛み。先生から「女性はお産をするから痛みには強いが、男性は痛みにはからきし弱い」と聞いていた。わが身に照らすとそれはどうも本当のようだった。退院後1週間は自宅で静養予定だったが5日目には午後から半日出勤。 3がつ、手術後の検査、異常なし。PSA0.02.手術で撤去された前立腺の病理検査の結果では、生検では左側の実3か所のがんだったが、右側にも1か所癌があった。右側のは生検で針を逃れたようだ。全撤去していてよかった。リンパ管から他の臓器への転移はないようだ。今後、定期チェック。PSAが0.2から2.0まで再上昇するかも。一応無罪放免4月スポーツジムに復帰。最低でも5年間は注意が必要。。。尿漏れとその対策。肛門括約筋体操。腹圧をかけないようにして肛門の実をしめるこを繰り返す。きゅっ、きゅっつと連続的に閉めたり、2,30秒連続的に閉めたり。朝、昼、夕、それぞれ100回以上。排尿中断くんっれん。尿が200CC以上たまった時ピタッと止める訓練。1日4,5回。 PSAが4.0以下でも20ないし30%は再発。手術後6週間たちPSAが0.02なら全く問題なし。201055月10日。再検査。PSA0.01.排尿がまだ正常ではない。2010年5月。2010年6月発行。 膵臓がん、青天のへきれき 故石弘光氏(向き合う) 2018年9月2日 15:00 [有料会員限定]日経 8月25日に亡くなった経済学者、石弘光さんは2016年6月に膵臓(すいぞう)がんと診断された後、17年5〜6月に日本経済新聞に闘病記を寄稿した。一橋大学長や政府税制調査会長を務めた財政論の専門家は、自らの病に向き合うとともに、体験を通じて日本の医療財政を憂えていた。コラム「向き合う」を再掲する。 膵臓がん、青天のへきれき 私の人生の最後のドラマは2016年6月、膵臓(すいぞう)にあった球状の組織、嚢(のう)胞が突然がん化し...
SR.y.y 92秋・頻尿。宇治から京大迄車で45分。しばしば車を止めて立ちしょん。93年1221.排尿について京大、老年科教授に質問。泌尿器科の先生へ取次。血液検査、PSAも。平成6年、94年0107,61歳、筧先生より,宣告。「あまり良い結果ではありません。すぐに入院の手続きをする必要があります」PSA118,グリソンスコア7。侵攻期の前立腺がんの宣告、泌尿器科の吉田教授より。94 年0117,京大病院泌尿器科に入院。リンパ節に2か所転移の可能性。手術は無理。ない分布法による治。療6人部屋腎臓、膀胱、尿道。造影剤によるCT、X千写真前立腺に原曲されているが、主要近辺のリンパ節に転移している可能性がある。前立腺の分化度 が高いので、ホルモン治療がよく聞く可能性がある。骨への転移を、アイソトープシンチレーションで調べた結果、骨への転移なし。0126からLH-RH.アンドロジェン受容体、ブロッカー化合物。男性ホルモン。テストステロンがほとんど0になり、男性の性的機能が失われる。女房も呼ばれてOK.4週間に1度ずつ、左右の下腹部に交互に注射。ホルモン剤の投与により、PSAは40に低下。2月9日、退院許可。自彊不息。通院での治療プロスタールL錠を朝晩1錠ずつ服用。PSAは1台になり持続。94年11月。奈良先端科学技術大学院大学97年、平成9年、迄PSAは1台1998年PSAが徐々に上昇。骨盤内にも転移。骨盤内くうにも照射。放射線治療98年1月から3がつ70グレイ、35回。平成10年1月8日(98) から3がつ4日まで、土日を除く毎日1月7日、肛門から、炭酸バリウムを注入し、腸 の位置を確認。骨盤前腰部左右4面から、照射。1月22日、照射開始後15日から、ガスと下痢が激しくなり、肛門が痛くなり、リンデロンーVGを肛門につける。1月29日腰部疲労困憊になり、2月2日から入院。下痢が激しく1日に7回も。2月16日から前立腺局部照射、疲労感が激しくなり、下痢止めに、ロベニンを服用、夜は睡眠薬。3がつ4日放射線治療終了。放射線治療の結果PSAは激減し、7月には0.02.平成11年アメリカから輸入で初承認された、、カソデックス(抗男性ホルモン剤)服用。平成12年から13年、PSAは0.2から0.5の範囲。抗男性ホルモン剤カソデックスの効果か。平成13年から14ねん6月まで、PSA葉徐々に上昇し、2ないし3に。超音波治療。京大の紹介で、平成14年8月、2002年、東海大学八王子病院にて、超音波の治療。癌の患部に超音波照射。82ないし98度の高温で、癌細胞の壊死。新しい治療法。入院は数日、京大病院に転院。超音波んっぷローブを肛門から挿入。PSAは版年間1台に低下したが、再上昇。翌年平成15年、5月12日、再度超音波照射散る王。超音波治療は何回でも受けられる、放射線照射と違って。超音波治療後、京大病院で、発熱し、尿道のバルーンカテーテルを抜去しても自尿をすることができず、発熱もあり、非常につらい時期。入院中の5月17日ごろから睾丸が腫れ痛み出した精巣に座金貨、抗生物質。尿閉。カテーテル導入による、自己導尿。7月、膀胱鏡の検査で、直腸尿道楼(直腸と尿道の間に穴が開く事)非常に大きな衝撃。人工肛門増設手術。尿道と直腸がつながっている。高熱になり、8月の真夏でも、電気毛布を入れてもらっても悪寒平成15年、2003年。。8月28日。72歳。、人工肛門増設手術。便がペニスから出ることは防げた直腸尿道楼閉鎖手術も試みていた大ただ、難しく、できませんでした。9月、2年間続けた、ホルモン剤カソデックスの服用中止。5か月間にわたる病院での寝たきり生活のため、歩行が全くできなくなった。。 今(2009)なお、杖にすがっている。ストーマ。ストーマとは人口肛門など、治療や病状のため、消化管や尿路ををおなかに導いた、排出口のことで、私の場合には左の下腹にS字結腸を引き出し、ストーまが作られました精神的ショックもあったが慣れてくるとともに、諦めとなれ、感染症の苦しみから逃れ。ストーマは自然排泄法。ストーマから出てくる便を袋にうけ、一杯になったらその中身を捨てる。装具は常時つけ置かねばならない。装具の交換はお風呂でやるのが便利。ストーマ装着ご、身体障碍者4級の申請。身体障碍者手帳。福祉課から他s号の装具の経済的支援。そう着後、6年たちましたが、大した問題ではなくなった。長期間旅行も、長期間ホテル滞在も、そこで、ストーマの交換私の一番の関心はストーマをいつまで自分で交換できるかということ直腸尿道楼の自然閉鎖平成16年、京大病院に入退院を繰り返す京大100周年記念公演を立って行った1時間の公演だったが、そのあとて立って小便ができた。1時間立っていたので、直腸尿道楼が自然にしまった小川先生に報告するとびっくりされたストーマ不要との考えも出てきたが、いろいろの副作用もあり、すとーまで生涯を過ごすことに決めた。ストーマとバルーンでの排尿は私にとっても生きていく気力を失わせるに十分な苦痛と不便さでありました。家内は自死だけはしないでくれと私に願っていましたので、その選択は絶対になく、頑張ろうと新たな決意。。。。。。。。QOL 先生、ストーマにしないと1年に数度の感染症による発熱、入院する可能性、ストーマ以外の選択肢なし。感染症では多量の抗生物質の投与と、発熱の苦しみ。繰り返したくなかった。平成16年、松、レントゲンとCT検査。4週間に1度のLH-RH注射とホルモン剤の服用。尿道狭窄を改善するために、ブジをペニスに挿入、拡大努力。ぷじーのナンバーは18から23へ、強烈な痛み。平成18年5月、PSA上昇、4週間で10位上昇。16年の間に前立腺がんは骨への転移がしやすいということで何度も検査したが、骨には今まで一回も転移していません。。10月には30.小川先生はホルモン剤と抗がん剤の複合物質エストラサイトの服用を推奨抗がん剤はしたくなかったが先生の推奨に従って、採用。抗がん剤はむかつきと食欲不振。PSAは10に下がって落ち着いている。抗がん剤服用中。現在は人口肛門と尿道拡大の手術以来、活動中派必ず失禁があおしめが必要です。新約聖書、ローマ人への手紙「艱難は忍耐を生み出し忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」と、。抗アンドロゲン薬にはステロイド系のもの(酢酸クロルマジノン/商品名プロスタール)と、非ステロイド系のもの(ビカルタミド/商品名カソデックス、フルタミド/商品名オダインなど)がありますステロイド系のものは、副腎から分泌された男性ホルモンの働きを抑える作用のほかに、下垂体からのLHの分泌を妨げ、テストステロンの分泌を抑える効果があります。一方、非ステロイド系のものは、副腎から分泌された男性ホルモンのがん細胞への働きを防ぐ作用だけをもっています。 抗アンドロゲン薬の副作用には、ステロイド系では、性機能障害(勃起(ぼっき)障害=ED)と女性化乳房(乳房が女性のようにふくらむ)があり、非ステロイド系では肝機能障害と女性化乳房があります。抗アンドロゲン薬(前立腺がん治療薬)の解説。カソデックス ビカルタミド製剤 OD錠があり、嚥下能力の低下した患者などへのメリットが考えられるアーリーダ アパルタミド製剤 アンドロゲン受容体への阻害作用のほか、複数の作用の仕組みによって抗腫瘍効果をあらわす。2012年6月29日、前立腺癌治療薬のデガレリクス酢酸塩(商品名ゴナックス皮下注用80mg、同皮下注用120mg)が製造承認を取得した。適応は「前立腺癌」で、用法・用量は「初回240mgを1カ所あたり120mgずつ腹部2カ所に皮下投与。2回目以降は、初回投与4週間後より80mgを維持量として、腹部1カ所に皮下投与し、4週間間隔で投与を繰り返す」となっている。 1997年から2001年まで奈良先端科学技術大学院大学長を務めた[4]。日本人の全米科学アカデミー外国人会員であった。 2021年8月15日、死去[4][5]。89歳没。
Sr.Ishi 2016念6月末。79.膵臓にあるほうのうに異常。検査入院。これがあることは5年前からわかっていたが、変化しなかった。2011年逓信病院の人間ドックで。超音波検査の結果、「膵管拡張が見られる。検査観察が必要。」エコーでみると膵管のところに通常1mmの隙間が2ないし3mmに拡大している。さらにMRI検査で膵臓にほうのう。毎年1回チェックし異常なし2016ねん6月16日、造形剤入りのMRI検査。「膵体部に37mmX24mmの種痘あり」膵体部膵癌。傍大動リンパ節転移の疑い」同時に行った、腹部の超音波検査には「膵体部膵癌、傍大動リンパ節転移疑う病変を指摘」。この結果入院。もう一つのチェック2010年1月前立腺がんの全摘手術。述語3年間は念2回、その後は年1回、経過観察。血液検査、採尿、腹部の超音波検査で肝臓など多臓器への転移を入念にチェックすい臓がんのしゅしょうマーカCA19-9。基準値37以下なら問題ない2012年728 3.2a2014年725 2.4 。2015年725 8.0。検査入院。2016年0711から3泊4日。1日目、血液検査、呼吸器機能検査、胸のレントゲン、心電図、PM頸動脈エコー、腹部エコー。2日目AM造形剤入りCT。3日目、、PMアブのモニター(睡眠時の無呼吸症候群)検査結果、CA19-9が975.4. 4日目、MRIとレントゲンによる、骨密度検査。それ以外に腰痛の検査もお願い。肝胆膵外科の伴先生が今後の担当医。よく7月15日、「PET検査について」癌の早期発見のために特殊な検査薬で「癌細胞に目印をつける「癌細胞は正常細胞に比べ3ないし8倍のブドウ糖を取り込む」という性質を利用。「ブドウ糖に近い成分(FDG)」を体内に注射し、しばらくしてから、全身をPETで撮影。ブドウ糖(FDG)がおおくあつまる部分が分かり癌を発見する手掛かりになる。結果の説明とセカンドオピニオン。PETの結果から、すい臓がんは灰とリンパ節に遠隔転移。検査報告書「左鎖骨上大動脈周囲、リンパ節絵の転移を認める」また肺への転移の可能性も。早期発見に努力してきたのだから、青天の霹靂であった。なぜこんなスピードで癌が成長したのか。癌は1cm位になると倍々の指数級数的に成長すると。形式的には余命幾ばくも無い末期がんの症状である。私も妻も動揺はなく冷静に聞いた。想定外のステージ4bの末期がん。事前の体調。私には、黄疸が出る、急激に体重が減る、疲れやすい、背中が痛い、腹部に飽満間があるなどの、すい臓がんの特徴は一切なく、元気そのものであった。突然、無理やりがん患者にされ、理不尽だという気持ちでいっぱいであったただ数週間前から腰痛があった。。抗がん剤治療、1、手術、1、放射線、3、抗がん剤。私の場合、3,でアブラキサンとゲムシタビン(ジェムザール)の2種類。週1回の投与を3週間。1週間休み。これが1コース。これを6コース。抗がん剤の副作用。抗がん剤の治療で重要なのは、「骨髄抑制」白血球(好中球)減少、85%重症、8%。血小板減少、88%、重症、6%。貧血(ヘモグロビン減少)62%、重症15%。現れる頻度は高く、私自身大いに苦しめられた。白血球減少で抵抗力低下。感染症にかかりやすくなる。血小板減少で出血しやすく。出血が止まりにくくなる。赤血球中のヘモグロビン減少で、貧血やめまい。すぐに表れる症状。手足のしびれ、77%重症、7%。脱毛、88%、重症、-。食欲不振、56%、重症、3%。はきけ・嘔吐、44%、重症12%。私の経験した身体上の副作用はこの程度のものではなかった。抗がん剤は聞くのか。抗がん剤しか選択肢がなかったこともあったが、私はそれに積極的に挑戦することにした。末期がんをどう受け止めたか。もはや働き盛りではない。79歳2か月の時発見。余命は知らないほうがいい。キュープラー・ロスによる死の受容。スイスの精神科医、「死と死ぬことに関するセミナー」。1.否認2.何故私がラ関するのといった怒り3.神との取引4.末期患者は病気と真正面から向き合うことができず{抑うつ}大きな喪失かん。5.受容 。”回天の乗組員”死生観と人生幕引きの選択。ミャンマーでの体験。山岳部での体験。今後の羅病の可能性と認知症。就活の詐病。癌と仲良く共存したい。難治癌の実態。明るく元気な患者でいたい。別の世界を見た。「なんでこんなに時間とカネをかけて体力を消耗せねばならないのか」家族の存在。抗がん剤とその副作用。再入院と病院生活。7月22日、伴先生の診察。治療方針。最初に9日間入院し、2回の抗がん剤の投与。7月25日、採血、血液検査、抗がん剤投与。最初、30分間、吐き気止めを点滴注射その後アブラキサンとゲムシタビンを30分ずつ投与。合計2時間。吐き気やふらつきなどは一切なし。7月26日夜、上半身にかゆみ多発。その後副作用なし、7月30日、かゆみ。かゆみ止めの軟膏。2回目の投与、7月31日から。血液検査、白血球、3000に減少、(基準値3300-8600)好中球50.6%と高い。(基準値、41.7-74.1)翌日抗がん剤投与。8/1 抗がん剤点滴。3種類の点滴や区が体内に。何の副作用もないので帰宅。通院による抗がん剤投与、その1>8/8.第1コースの3回目。アブラキサンプラスゲムシタビンの2本立てで。早期の採決から。白血球や、赤血球。骨髄の状況。吐き気止めと2種類の抗がん剤を30分ずつ、およそ、2時間。第1コースの3回投与が終わったころから、副作用が激しくなった。脱毛、味覚障害、倦怠感など。これが長い副作用との戦いの幕開けとなった。3週間連続で投与した後4週目の8月15日の週は休薬。第2コース前の1週間はハッピーウイーク。8/22第2コースが始まる。CA19-9も下がっていた、1/5に。それ以後2回投与。第2コースの終わりごろ、副作用が激化。倦怠感、1日中、すっきりせず、手の地目が黒くなり、ひげが生えず、。全身に現れた、湿疹のかゆみ。3か月継続。9/5,第2コース終了。合計6回抗がん剤を投与。通院による抗がん剤の投与、その2。このあたりから患者は参ってくる。第3コース。第2コースまでの結果、CA19-9が46.9まで減少。抗がん剤が効いている。CTを8回投与した後へと繰り上げ。9/30,第3コースの2回目。圭8回の抗がん剤の投与が終わった。8回目の投与後副亜洋画本格化。全身鉛のように重く、1っ歩歩くのもしんどい。手足、顔などが変色。10/7は第3コースの3回目の予定だったが、全身の倦怠感、だるさが尋常ではなくキャンセル。白血球も下限を切り、好中球も30%を切った。翌週の14日にCTを取り、アブラキサンをやめ、ゲムシタビンの単体点滴へ。長期戦にそなへQOLを重視。抗がん剤の試練。だるさ、倦怠感。脱毛と帽子。食事と味覚障害。「砂をかむような食事」湿疹とかゆみ。皮膚科で処方された塗り薬がよく聞いた。爪と皮膚の変色。しびれとむくみ。、抗がん剤治療とともに暮らす日々。書斎生活。副作用が生じたが日常生活は発症前とほとんど変わらず。夜の外出は控えたが昼は依然と変わらぬ生活。書斎での執筆、読書。朝5時起床、朝食を食べ、6時過ぎに書斎の机、パソコン。食事と体重管理。抗がん剤を投与すると体重が減少。「いくら食べても癌細胞が、横取りして痩せていきます」ジムとウオーキング。「免疫を支配するリンパ液は、血管に沿って、全身をめぐっています。しかしリンパ液は、血液のような動力機関(心臓)がないのでそれ自体で動くシステムはありません。然しリンパ液を動かさねば、免疫力は十分に働きません。つまり、体を動かさねば、免疫力は働きません」ジムで週一回、マシンを利用してキンニクトレーニング、10分、自転車こぎ、20-30分水中歩き。さらに週1回ウオーーキング。5000歩。劇的な効果。白血球は下がることがなかった。投与可能な条件は白血球*好中球>1000.好中球の基準は41.7.骨髄抑制は白血球のほかに赤血球都ヘモグロビンも減少させる。ヘモグロビンが減少すると貧血。赤血球数は基準値が435-555(*10000/マイクロL投与後は300に、ヘモグロビンも基準値13.7-16.6(g/dl)に対し11-12に。総じて骨髄抑制が制約になることはなかった。CTによる検査とその結果。3か月ごとにCT検査。造影剤による副作用(蕁麻疹、かゆみ、吐き気)10/17検査結果が良かった。膵体部のがんの大きさが48mmkara30mmに縮小。リンパ節への転移はほぼ消滅。CA19-9は23.7まで下がった。量はい転移著変なし。睾丸治療を始めて3か月、まさに劇的な成果この成果を踏まえ1か月ほど静養して、治療の第2弾。抗がん剤がアブラキサンプラスゲムシタビンからゲムシタビン単体へ。副作用の強いアブラキサンを避けQOLを改善。腫瘍マーカーの動向。CA19-9.2017/1/17まで上昇せず。1/17,13.4.抗がん剤との生涯の付き合い。新たな処方箋。投薬回数を週2回、1蹴球用。もっと順調なら、衆1回1蹴球用。伴先生から「抗がん剤とは 一生縁が切れませんよ」私も腹をくくった。抗がん剤治療とQOL.癌治療・抗がん剤とQOL維持。スキーとその仲間たち。エコノミスト村。囲碁ライフ。抗がん剤の副作用その後。改善した頭髪と髭。長引く副作用。定期検査とその結果。3か月ごとのチェック。3か月ごとに造形剤を入れたCT.11月17日に始めた第3コースの(合計9回)終了したので1/27、代2回目のCT検査。10月に実施した検査では癌が2/3に減少という、劇的な改善があった。検査結果1.膵体部癌、前回から変化なし2.多発性はい転移、軽度増大。癌が目覚めた。.2017年、。CA19-9が1/17の13.4から増大した。3がつには46。CA19-9の値は急激に上昇する。肺に転移しても大きくはない間はすい臓がんの治療。。肺に転移してもすい臓がん。癌との共存の条件。抗がん剤の薬剤耐性。青い鳥は存在するか。私のっ抗がん剤治療ファーストラインは2017年1月に終了。8か月間、本格的な抗がん剤治療実施。私はこの間、がんと闘ってきたのではなく抗がん剤の副作用と闘ってきた。抗がん剤の効き目。1.完全緩解CRコンプリートレスポンス。2.PR,パーシアルレスポンス。3.不変。4.進行。。セカンドラインの治療。アブラキサンの祭投与とその副作用。2017/3/10.CA19-9が46.5.アブラキサンをゲムシタビンに加え、3回ほど投与へ。投与後すぐに倦怠感とだるさ。手足のしびれが一層激しくなった。3回目の投与から頭髪が脱毛。皮膚の周りの色素沈着からパンダの目のようになった。TS-1に切り替える。4月8日からTS-1の服用。2017年5月。3回目のCT検査。1.膵体部のがんは30mmのまま。膵尾部のがんは委縮。2.両肺部にある多発性癌は増大。私のがんの状況はぎりぎりSDと。癌患者として1年。。睾丸治療と向き合って。201//6/17は癌が発見されてちょうど1年。1.治療を始めていかに気力、体力を維持できるか。2.抗がん剤は毒性を持つ。癌細胞をやっつけるが正常な細胞も攻撃する3.骨髄抑制による白血球、赤血球の減少。夫婦で楽しく明るい生活を。依然と変わりない生活を送っている。AM,書斎で文筆活動。週のうち5-6度は外出。ボケ防止に、キョウヨウトキョウイク(今日の用事と今日行く仕事)つきに1度は旅行。天寿癌を願って私にとっての天寿癌とは、全力で癌と向き合い、納得のいく人生。CA19-9が50.7アブラキサンの投与後3日ほどで、猛烈な手足のしびれ。に跳ね上がった。TS-1が効いていない。アブラキサン再々祭投与。2017年、。6/30.アブラキサンプラスゲムシタビンを投与してから3回目、CA19-9は43.1に低下。たった2回の投与で1か月前の50から低下。高齢癌患者の他の病気。X-daywo misuete .自力で生活できなくなった時。どこかで終末期ケアを受けたい。1.自宅2.ホスピス3.病院。自宅で過ごすためには、1.介護力があること2.療養する場が自宅にあること3.定期的に往診してくれる医者がいること4.癌による痛みや呼吸困難が自宅で過ごせるほど改善されていること。私はこの4条件が満たされても、自宅で死を迎える気はない。ホスピスに行く気もない。毎日動きがあり活気がある病院の緩和ケアを受けたいと思う。病院の緩和ケア病棟。。 毎日が自然体、妻からの一言。本書を書き終えてからの病状、7月初め、恒例の前立腺がんの述語の定期健診。エコー検査で腹部を丁寧にみてもらったが、1年前と比べ膵臓体部のがん自体はSD.肝臓への転移話。また腹水もなし7月腰痛のためPET検査。結果は「転移病変なし」「骨も大丈夫」。ほぼ3か月ごとに造形剤を入れたCT検査をしている。8/14に検査。8/15説明があった。膵体部癌は22mmと前回5月の30mmより縮小。膵臓尾端へののがんも委縮腹部やリンパ節への転移はない。ただ肺廃部へ多発性の箇所が増大大きくなっていない。CA19-9も27.3に減少。SDの状態を維持。目標通り「癌との共存が実現」しているようであるこの状態をいつまでいかに維持できるかである。、2017年8月19日。 2018年 8月25日に亡くなった経済学者、石弘光
Sr.Y.Y ドイツ在住20数年、ミュンヘン。M**、FKK.あの瞬間だけのために男たちは何べんも恋をする。 1959born.ほんの発売2018/11/27.発端。、。2004/8 前立腺がんの予兆。生体検査 、家計、乳、70歳で癌、現在80代半代。切ろうか切るまいか悩んだ末、 。毎月1回の注射でホルモン療法。祖父、80代半ば逝去。晩年前立腺がんだった。父の弟、前立腺がんで前立腺撤去撤去。十数年前の生体検査、「君の若さでは癌になる確率は非常に小さいから」と生体検査は行わず。家系の話をすると、そんなら3か月後にPSAを取ってみようと。それが昨年の4月。(2017ねん)9月、PSAチェック、8.2。生体検査、公立の大病院。初期のがん、2/10.1.前立腺撤去。2.放射線治療。3.経過観察。3つの5年間生存率はほとんど同じです。70歳以上であれば、経過観察。手術で撤去を進めると。手術の場合の後遺症。主に、尿漏れと性的不能。生きるか死ぬかの話をしているときに、漏らすか,立つかの話題。ジャー切りますかと私。58歳。手術の日は9月半ば。手術そのものは2時間程度。入院は2週間。その後リハビリセンターで3週間。出血が続いていた。血便は、2-3日。血尿は。私の前立腺に10本の針を打ち込んだ鉄の外科医は血尿は2週間ほどで止まるが、射精の祭に血が混じるのは2か月ほど続くだろう。射精してはいけないとは言わなかった。前立腺に鈍いうづきはあったものの勃起には何の支障もなかった。手術の説明、手術で前立腺を撤去したら、摘出した前立腺を詳しく調べる。癌がはみ出している場合には、追加の処置として、放射線を照射します。すぐにではありません。切った部分が元に戻ってからです。そのあとの説明が私をびっくりさせた。手術した後は射精という現象がなくなる。「いいやだって、輪精区だごとと取ってしまうわけだから、もはや出口はなくなるのですよ」「デモ精子事態は作られ続けられるわけですから、それは何処に行くんですか」「何処にもいきません・・・体内で」「代謝「性的なクライマックスはどうなるんですか」され分解されてしまうんです?それもなくなってしまうのですか「いえ、絶頂の感覚は残ります。「ただ射精はなくなるだけです」」。翌日の入院の準備。旅行のためのパッキングと違って、衣類を詰める必要はない。パンツだって吐くことはないだろう。歯磨きと歯ブラシ。髭剃り、ほんとキンドル。iphonetoipad。念のためパソコン。日記の手帳、お金少々。ポータブルDVDプレイヤー、下の毛をそる。「これから麻酔薬を注射します。あなたが一番行ってみたいところを、頭の中で思い浮かべてごらんなさい。」「手術は成功だ。性感神経もちゃんと残してやったよ。」beer先生が言った。手術室に入ったのは、AM10時ごろだった、今はPM4時ごろ、半日ばかり過ぎていたわけだ。彼は今「性感神経」といった。つまり僕はちんちんを立たせることができるのか」確かに、良い知らせだが、真っ先にそれを言うのか。僕の体にはいくつもの管がつながれていた右手の甲には点滴。左腕には血圧計のバンド。その指先には、脈拍数をモニターする洗濯ばさみな奴。下腹部に差し込まれた、血膿を出すための区だ。そしておちんちんの先から尿道カテーテル。。僕はほったらかしにされていた。食事は点滴。排泄はカテーテル。取り立ててやることはないらしい。「私は介護士だ、これから君の体を起こし、ベッドの端に座らせる。」・・・「ジャー、立ってみるか」「もう立つの」・・・2日目の経過観察が過ぎて。「私は理学療法士です「今日は少し歩いてみましょう」病室を出る。廊下を歩き始める。「いいですよ。順調な回復ぶりです。」明日からは一人で歩きなさい」」看護婦が二人やってくる。「さあ、ここはもう卒業。一般病室に移ってもらいます」」次の日。手術の前日の意昼食を運んでくれたあんちゃんだ。介護士。看護師、モニカ。「幹部の様子を見る」尿道カテーテルの付け替え。看護婦。脈拍と体温。あんちゃん。看護婦二人。シーツの取り換え。初老の男「ぼランチアグループ」若い女性「シンリカウンセラー」女性「ソシャルワーカー」退院後のリハビリセンターの紹介と、障碍者手帳の申請。「がんの手術を受けた人は自動的に障碍者認定。図書七の司書。主地位のビール先生が弟子を伴って。「手術で取り去った、君の前立腺を今検査している。どれくらい癌があって、どのくらい広まっているかだ、まあ、問題はないと思うがね。2-3日のうちに結果が出るだろう1日のうちに、。最後の訪問者。モニカじゃない別の看護婦。小柄な赤毛、僕と同じくらい。アネッテ。尿道のカテーテルの付け替え。アルザス出身。ボアヌテ。 主治医のビール先生がお供を連れてきた。生体検査の結果を知らせるためだ。「良い知らせは、リンパ腺への転移は認められないことだ」「ただし切除した前立腺の中心部分だけでなく、周辺部にも癌の組織が見つかったしたがって完全には除去されていない可能性がある。念のため、その部分に放射線を当てておくべし」・・・「あくまで、念のため念には念を入れる、ためにダメ押しの治療を加えておくということだ。裁定3か月は間隔をあけるべし。大体君、再発の可能性があるといってもだね、何年の、いや、何十年も、先のことだから」ビール粘性は笑いながら言い放った。。。。 ・・・・・。男はカテーテルを外した。彼は僕に、巨大な生理用のナプキンのようなパッドと網のパンツを渡した。2週間ぶり。「もう、動き回っても平気」「兵器」「飲むのは」「なんでも」「ビールも」「もちろん」シェーデルクリニック。ドイツ、オーストリア、チェコの3国境の競り合う近く。がん専門のリハビリセンター。ここに滞在する料金はドイツの年金が払ってくれる。入院と手術の負担は健康保険の負担だが、リハビリは1日も仕事に復帰して年金を収めるようになるための必要経費。ミュンヘンからここに来るためのタクシー代、260ユーロ(3万円)も即座に現金で払ってくれた。入院期間は3週刊。骨盤底筋体操が毎朝一回、大隊30分。午後には講義、1っ回、1時間程度、。あとは週に1回石による、、採決と問診。他には何もすることがない。講義には「男の集いMannerGruppe」なるものがあった。集まった10人足らずの、全員が前立腺がんの手術者。ハンガリー人、医師と経験談の会話。おしっこと立つ立たないの話ばかり。私に手術をした、ビール先生が最初に告げたのは「手術は成功。神経はちゃんと残しておいてやったよ」神経とは脳とペニスをつなぐ、性感神経ノことでこれを切除すると、どれだけバイアグラを飲んでも、立たなくなるのだそうだ。いきなりその話か。」「私は手術から半年ほどで、自律的な朝立ちをした」最長老の70代のそういった。私も質問「私は術後1か月に満たないが、自ら試みてもいいのでしょうか」先生は力強くうなずいたGruppeの男たちは、励ましに満ちた、芽を僕に向けるのだった。。この問題に関してはほかにも「性機能改善」という講義や、その方面の専門の医師との個別面談もあった。普段は空席の目立つ教室はその時ばかりは、立ち見参加者も出る、活況であった。道具もあった、数百円の物から数万円のものまで。「健康保険は聞くのか」「ナイン」悲しいことにここに集まっている男たちは誰も射精というものができないのだ。前立腺とともに輸精管も取られているのだから。生殖という要素の入り込む余地はない。ただひたすら、快楽のため。 一時の賑わいがあっても、リハビリ生活はただ退屈である。・・・・週に1回は医師との面談。朴の担当は、カザフスタン出身の女医。「にょぱっどは使っている」「おしっこは1日何回」「流れは、勢いある」「途中でやめることができる」これだけで面談は終わる。血圧も体温もなし。 この療養所で働いているのは外国から来た医師が多い。ヨーロッパの辺境の小国ばかりだ、ミュンヘンやベルリンでは職を見つけられないのだろう。・・・性機能回復のための面談を受ける。担当は性機能の講義をした、シュテールせんせいだ。前立腺摘出の手術の後、脳とペニスをつなぐ神経は切除をまぬかれたとしても、ある種のショック状態にあって、まあ、眠っているようなものだ。、「いつ頃目を覚ますのですか」「まあ販年、場合によっては数年かかって少しずつ」「君の場合、この後まだ放射線治療を受けるのだね。」「え。12月ごろから始まる予定です。」「放射線治療を受けた、患者の2割から、3割が勃起不全になる。」「それは一過性ですか、それともずーっとですか」「ずーっとだ。永続的で、不可逆的な不能だ」」「シアリスの5mg錠を処方しよう。「これは本来は1錠で3日間効果が持続するのだが、君の場合にはこれを毎日、飲むべし」「毎日ですか」本当に、びっくりする。「然り放射線による、神経組織への損傷を軽減できるかもしれない。」「どれくらいの期間飲めばよいのですか」「このさんpるをあげるから、 今日から、放射線の治療中もずーっと。その後も飲みなさい。退院したらかかりつけの泌尿器科の先生に処方箋を書いてもらって」僕は頭の中で、薬代を計算する。保険が適用されないと、講義で聞いていたからだ、 【医師監修】ED治療薬シアリスの値段相場について ...https://www.eastcl.com ? シアリス 2021/01/19 ? 最近シアリスのジェネリックが正式に解禁され、1錠当たりの価格は1,400〜1,600円で入手できます。 (※1). シアリス処方の際は、診察料も考慮. シアリスの ...シアリスは世界シェアNo.1のED治療薬です。しかし、シアリスの購入にかかる費用は保険診療の対象外となるため価格は高め。そんな中、2020年2月にはついにジェネリックが解禁になりました。今回は気になるシアリスの価格相場と注意点について詳しく解説します シルビア医師。放射線科「ちょっと患部を召せてくれるかしら」「毎日2グレイずる照射します」35回繰り返します。全部で70グレイです。1週間に5回。7週間。1月20日の週に終わります。治療を受けるときは台帳をからにし膀胱は満タンに。。 副作用は。1番可能性の高いのは、突然の尿意です」「いざトイレに行っても出なか「校門の当たりがただれる」い「淫毛が抜けるかも」「頭の毛は」「それはありません12月30日。シルビアからお呼び。副作用など聞かれる。とくにありません、「排尿のほうはどうですか」「それも問題ないです」「ちょっと患部をみせてください」2日から商社が始まった、照射台で僕はなんと自律的勃起しているではないか。「おめでとう」シルビアが満面の笑みを浮かべて。 。「放射線治療はすべて順調にいった」「自分ではどんな感じですか」「3週間前と一緒です」照射の中の自立、勃起については言及しない。 「この後泌尿器科の先生の所に行って、血液検査をして、PSAの値を調べてください」順調にいけば計測できない値に、下がって行くはずです。 「数値がゼロになるということですね。それはどれくらいでそうなるのですか」「それはまったくわかりません」「すぐにすとんと落ちることもあれば、何年 かてゆっくり下がっていくこともあります。[ 逆に、再び上昇することも・・・」「ええ」「癌細胞というのは本当に予測不可能なんです。何年もじっと息をひそめているかと思えばある日突然狂暴になって、暴れだすことも、」「で、その場合、どうするんです。もう一度放射線を浴びさせるんですか「いいえ、同じところに、もう一度放射線を浴びせることはしません。あなたの場合だとPETという方法で転移の有無を確かめることになるでしょう。位置が確定したら野の時点で最適な治療方法がとられるでしょう。「転移するとしたら、どんなところが考えられますか。脳とか肺も考えられますか「脳だってありません。ハイだってありません。あるとしたら前立腺の近くのリンパ腺でしょう」「あなたのことはずっと見守っていました」・・・「ジャー、ズボンを下ろしてください」「なにももんだいありません」」、 ]・・・・最初に宣告があった。自覚はなかった。次に除去があった。そのあとつかの間の、回復を経て、照射があった。とにかくにも生き延びた。最悪の事態は去った。どころか経過はすこぶるよかった。3か月ごとに泌尿器科の先生のもとでPSAを測定。むこう10年間続けるべしと。
村山 聖(むらやま さとし、1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日)は、日本の将棋棋士、九段(追贈)。森信雄七段門下。棋士番号は180。いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。 広島県安芸郡府中町出身。血液型はAB型。 癌との闘い その直後、進行性膀胱癌が見つかり、東京のアパートを引き払って地元の広島大学病院に入院。村山は「子供を作れなくなるのが嫌だから」と手術を一旦拒否したが、同じ手術をした経験のある男性と会わせて体験談を聞かせるなどして医師が説得。手術を受けることを決断させた。1997年6月16日に行われた手術は、片方の腎臓と膀胱を摘出するという8時間半の大手術であったが、休場することなく棋戦を戦い続けた。抗癌剤や放射線治療については、「脳に悪影響があって将棋に支障が出ては困る」という理由で拒否していた。 手術後早くも復帰の意思を見せ、医者には「脱走してでも行く」と告げるほどであった。1997年7月14日、復帰第1戦となった第56期B級1組順位戦2回戦の対丸山忠久戦は、角換わり腰掛け銀の激しい展開から総手数173手という、深夜に及ぶ戦いとなる。持ち時間の残りがなくなり1分将棋となっていたところで、村山は強引に丸山の玉を詰ましにいったが詰まなかった。結果は丸山の勝ちで、33手詰めであった。しかし、病苦に耐えながら指していたとはとても思えない内容の激闘・名局として伝説化されている。この一戦では敗れたものの、1期でA級復帰を決める。 同年度は、NHK杯戦でも決勝まで勝ち上がる活躍。決勝の相手は羽生であった。村山優勢で進んでいたが、最後に秒読みに追われてミス(68手目△7六角)をして優勝を逃す。しかし、局後のインタビューでは、「優勝したはずなんですが、ポカしてしまいました」と笑顔で冗談混じりに答えた。これで羽生との対戦を通算6勝7敗で終えた(休場による4月の不戦敗も含めると6勝8敗)。 癌の再発・死去 1998年春、癌の再発・転移が見つかり、「1年間休戦し療養に専念」する旨を公式発表。森は「1年休んだら弱くなるぞ」と言ったが、村山は「命のほうが大事ですから」と答え、彼は「変わったな」と思ったという[3]。同年3月の最後の対局を5戦全勝で終えて将棋対局の場から離れ、A級復帰祝賀会が村山最後の表舞台となった。1998年版「将棋年鑑」のプロフィールでは、「今年の目標は?」との項目に「生きる」と書き残している。 以降、広島大学病院の名札の無い病室[3]でひっそりと過ごし、8月8日に死去(享年29)。名人になる夢は叶わなかった。薄れていく意識の中でも棋譜をそらんじ、「……2七銀」が最期の言葉であったという[1]。遺志により葬儀は家族のみの密葬とし、葬儀終了後にその死が将棋界に伝えられ、大きな衝撃を与えた。日本将棋連盟は、その功績を讃えて逝去翌日の8月9日付けで九段を追贈した。また、「将棋世界」は98年10月号を「特別追悼号 さようなら、村山聖九段」と題して発行し、無冠の棋士の死を悼んだ。A級在籍のまま逝去したのは、山田道美、大山康晴に続き史上3人目である。 死後、地元府中町では「村山聖杯将棋怪童戦」を、日本将棋連盟広島将棋同好会支部・中国放送・中国新聞社と共催し、顕彰に努めている。
前立腺がんとともに8年―人のためになった治験体験 治験の募集状況は、「医薬品情報データベース 臨床試験情報外部リンク」ページでご確認ください。 上記ページにアクセスし、条件欄から「試験の名称」を選択、このページの「試験概要詳細」の「試験の名称」をコピーして、キーワード欄に貼り付け、検索してください。 M.Kさん 体験者プロフィール M.Kさん 性別:男性 年齢:71歳 がん種:前立腺がん 診断時ステージ:ステージ4 M.Kさんが前立腺がんと告知されたのは、今から8年前。ステージ4と診断され、手術不能で、初期治療としてホルモン療法を受けたそうです。前立腺がんステージ4の平均生存率は5年、あと5年と考えやりたいことをやろうと考え治療に臨みました。治療開始から6年後に治験を受け、治験終了後の現在の治療までの体験を語っていただきました。 前立腺がん告知−がんと生きる8年の始まり 初期治療の開始―CAB療法によるホルモン治療と放射線治療 経過観察と再燃−新たなホルモン薬による治療 治験という選択−新しい薬に対する期待 治験による治療−期待した効果がなく終了 治験後の治療−今使っている薬もほかの人が受けた治験があったから 前立腺がん告知−がんと生きる8年の始まり 2011年7月、最初に現れた症状は、「尿の出が悪い」というものでした。なかなか尿が出てくれず、苦労して排尿した後でも残尿感があります。特に夜が大変で、排尿したいのに尿が出ないという状態になってしまいました。これは放っておくわけにいかず、近所の内科医院を受診しました。以前から痛風と高血圧の治療を受けていた医師です。尿の出が悪くなったことを相談すると、「これはまずいかもしれない」ということで、泌尿器科の開業医を紹介してくれました。 その泌尿器科医院で診察を受けると、「これは間違いなく前立腺がんですね」と言われました。その医師は、開業するまではがん研有明病院の泌尿器科に勤務していたとのこと。がんを専門とする泌尿器科医が言うのですから、間違いないのだろうと思いました。腫瘍マーカーのPSAの値は、82.4という高さでした。そして、数日後に生検を受け、前立腺がんであることが確定しました。 がん告知はさすがにショックでした。ちょうど仕事をリタイアして半年ほど。これからはのんびり人生を楽しもうと思っていた矢先の出来事です。この先、がんの治療がどう進んでいくのかわからず、不安でいっぱいでした。 その泌尿器科の医師に紹介状を書いてもらい、治療はがん研有明病院で受けることにしました。日本のトップレベルのがん専門病院ですが、実は自宅から自転車で通える距離なので、近所にいい病院があったのは幸いでした。 2011年8月、がん研有明病院で診察を受け、CT検査でリンパ節への転移が見つかりました。転移があると、ステージ4になるとのことです。PSAは136.0という高さでした。どのような治療になるのか気になっていましたが、結局、手術することはできず、薬による治療になると言われました。ホルモン療法です。 調べてみると、ステージ4の前立腺がんの場合、平均的な生存期間は5年程度のようです。自分がどうなるかはわかりませんが、あと5年と考えて生きることに決めました。プログラマーだった私は、若い頃は1か月の残業時間が200〜300時間に達するという無茶な働き方をしていましたし、その後も、やりがいのある多くの仕事に恵まれ、忙しく仕事をする日々を送ってきました。これから先の人生は、たぶん5年程度。やりたいことをやって過ごすことにしようと心に決めました。 初期治療の開始―CAB療法によるホルモン治療と放射線治療 2011年8月にホルモン療法がスタート。使われる薬は、注射薬のリュープロレリン(製品名:リュープリン)と、内服薬のビカルタミド(製品名:カソデックス)でした。リュープロレリンはLH-RHアゴニストという種類の薬で、精巣から男性ホルモンが分泌されるのを抑える働きをします。ビカルタミドは抗アンドロゲン薬という種類の薬で、男性ホルモンが前立腺がんに作用するのを抑える働きをします。この2種類の薬を両方使うホルモン療法をCAB療法というのだそうです。 この治療はよく効きました。治療を開始して1か月後にはPSAが正常範囲入り、3か月後には0.04、6か月後には0.01、9か月後には0.00まで下がっていました。ただ、PSAの値が0.00になろうと、前立腺がんがすっかり死滅したわけではありません。ホルモン療法によって抑えられているだけなのです。治療を継続する必要があるし、骨への転移が起きていないかどうかをしっかり監視していく必要がある、と担当医師から説明されました。 がんの治療は続いていますが、それがよく効いたので、前立腺がんの症状はまったくなく、これまで通りの生活ができていました。 2012年10月、放射線療法を受けることになりました。ホルモン療法はよく効いていましたが、現在使っている薬は、いずれ効かなくなるので、放射線療法を行ったほうがよい状態を延ばすことができるとのことでした。前立腺がんは薬でしっかり抑えられていたので、放射線療法を受けることにはためらいがありました。「本当に受けたほうがいいんでしょうか?」とたずねたところ、「自分の父親が同じ状況なら、私は受けることを勧めます」というのが医師の答えでした。これで放射線療法を受ける決心がつきました。 10月から12月にかけて、計39回の放射線療法が行われ、治療後もPSAは0.00が続いていました。 2013年10月、ホルモン療法を中断することになりました。ホルモン療法を中断すると、薬による副作用もなくなるため、病気になる前と同じように活動的な日々を送れるようになります。ホルモン療法を中断しても、PSAは0.00のままでした。 経過観察と再燃−新たなホルモン薬による治療 2014年、2015年は、ホルモン療法を中断したままで、定期的に病院に通って検査を受けていました。PSAは0.00が続いていて、状態は安定していました。ただ、2015年に血尿が出て、それを止血するため2回入院しています。2012年に受けた放射線療法の副作用とのことでした。放射線が前立腺だけでなく、隣にある膀胱にもかかってしまったため、2年以上もたってから出血を起こしたのです。 2016年になって、少しずつPSAが上がり始めました。抑えられていた前立腺がんが活動を始めたようで、これを「再燃」というそうです。 2016年5月、PSAが2を超えたところで、新たなホルモン療法が始まりました。使用する薬は、注射薬のゴセレリン(製品名:ゾラデックス)です。以前使っていたリュープロレリンと同じLH-RHアゴニストで、精巣から男性ホルモンが分泌されるのを抑える薬です。3か月おきに注射を受けます。この治療を開始したことで、PSAは2を下回るようになりました。以前のように0.00になることはありませんが、それなりにがんを抑えることができているようでした。 治験という選択−新しい薬に対する期待 写真はイメージです 2017年10月、ゴセレリンによる治療を1年半ほど続けてきましたが、ついにPSAが2を超えてしまいました。これまでの薬が効かなくなっているので、新たな治療を始めなければなりません。担当の医師に、どういう選択肢があるのかをたずねると、「治験に関心がありますか?」と言われました。 新しい薬が使われるようになるためには、治験を行って効果や副作用を調べるのだということは知っていました。がん研有明病院のような専門病院では、たくさんの治験が行われているのでしょう。つまり「実験用のモルモットになるのだな」とは思いましたが、治験に参加するのは人のためになることでもあります。それに、前立腺がんが再燃した状態でしたから、新しい薬に対する期待感もありました。特に悩むこともなく、私は治験に参加することに決めました。 治験については、医師からではなく、治験コーディネーターから説明がありました。私が参加したのは、「ビカルタミドによるCAB療法中に再燃した去勢抵抗性前立腺がん患者におけるエンザルタミドとフルタミドの無作為化比較試験」という治験でした。治験の内容などについては、それなりの厚さの説明文書があり、治験コーディネーターから説明を受けました。さほど専門的ではないのですが、誰にでもわかるように、過不足なく説明してくれたと感じています。 ホルモン療法を受けていて前立腺がんが再燃した患者を対象に、エンザルタミド(製品名:イクスタンジ)を服用するグループと、フルタミド(製品名:オダイン、フルタミド)を服用するグループに分け、効果や副作用を比べてみようという比較試験です。フルタミドはこれまでも使われていた抗アンドロゲン薬で、エンザルタミドは新しく開発された第2世代の抗アンドロゲン薬です。無作為化試験ですから、自分で薬を選ぶことはできず、コンピュータが無作為的に振り分けるのだそうです。どちらのグループに振り分けられるかは、治験が始まるまでわかりません。 治験による治療−期待した効果がなく終了 2017年11月、治験が始まりました。治験の前にはさまざまな検査が行われるので、実際に薬の服用が始まるまでに2週間ほどかかります。結局、私は新しい薬ではなく、フルタミドのグループに入ることになりました。 フルタミドの服用を開始すると、たちまち気持ち悪くなり、食欲がなくなりました。この副作用はかなり重篤で、ついにはおかゆさえ食べられなくなり、体重もどんどん落ちて行く状態でした。これだけ副作用が現れているのに、PSAの値はまったく下がりませんでした。フルタミドは標準治療として使われる薬で、これまでも多くの人が使ってきたわけですから、私との相性が悪かったとしか考えられません。結局、フルタミドは2週間服用したところで中止となりました。 2018年1月、もう一方の治験薬であるエンザルタミドの服用が始まりました。新しい薬だけに期待感はあります。それに、この薬が効かなければ、もう次に使う薬はないのではないか、という思いもありました。 ところが、エンザルタミドも副作用がひどかったのです。フルタミドのときほどではありませんが、やはり食欲がなくなり、十分な食事ができなくなりました。体重も落ちていきます。フルタミドの治療を開始する前は、体重が68〜69kgくらいあったのですが、フルタミドとエンザルタミドの治療を続けていくうちに、61kgまで落ちてしまったのです。 起きているのも辛くなってきました。朝起きて、朝食後にパソコンに向かったりするのですが、午後になると起きていられず、3時間くらい寝てしまいます。こうして、1日に12時間くらい寝ているような生活になってしまいました。それでいて、PSAの値は下がっていません。エンザルタミドが効かなければ後がない、という思いがありましたが、ここまでくると、このままがんばっていていいのだろうか、と不安になってきます。医師に相談し、服用開始から3週間ほどたったところで、エンザルタミドの治療を中止することになりました。 こうして治験は終了。結局のところ、私には、フルタミドもエンザルタミドも期待した効果はありませんでした。 治験後の治療−今使っている薬もほかの人が受けた治験があったから 2018年8月、新しい薬での治療が始まりました。治験が終了した2月以降、PSAは徐々に上がりつつありました。8月には9.37まで上がっていたのですが、そのときに担当の医師から「これまで使ってきた薬とはまったく違う働きをする薬がありますが、やってみますか?」ときかれたのです。近年認可された薬とのことでした。 それがアビラテロン(製品名:ザイティガ)です。アンドロゲン合成酵素阻害薬という種類の内服薬で、体の中で男性ホルモンが作られるのを阻害する働きをするそうです。アビラテロンを使うときには、副作用を防ぐ目的で、ステロイド薬のプレドニゾロンなどを併用する必要があります。 アビラテロンによる治療は、私には合っていたようです。この治療を開始してから、体重は3kgくらい回復しました。体調も問題ありません。PSAは2018年12月の段階で、6.18まで下がりました。十分に低いとはいえませんが、薬によってがんが抑えられている状態なのでしょう。いつまでかはわかりませんが、効果がある間はこの薬を続けていくことになるようです。 治験による治療は、残念ながら、私にはまったく効果がもたらされませんでした。しかし、後悔はしていません。いい薬であっても、誰にでも効くわけではなく、私のように副作用だけが出てしまうこともあります。使ってみるまでわからないのですから、しかたがなかったのです。治験に参加することで、将来の患者さんたちの役に立ったのなら、それでいいと思っています。 私は現在、アビラテロンによる治療を続けていますが、この新しい薬が登場してくるまでにも、やはり多くの患者が治験に参加し、貴重なデータを残してきてくれたのでしょう。それがあって、私の現在があるのだと感じています。 この薬が効かなくなったとき、次の薬があるのかどうかは知りません。次の新しい薬が登場してきているかもしれません。しかし、私はもう十分に生きたとも感じています。前立腺がんのステージ4と診断されたとき、残された時間は5年と考えていました。その後、ホルモン療法と放射線療法がよく効いて、元気に過ごせる数年間があったので、やりたいことは全部やってしまいました。南の島で豊かな時間を過ごすこともできたし、仕事をしていたときにはできなかった多くのことを行うこともできたのです。 そして、がん告知からすでに7年半以上が経過しました。もう、いつ薬が効かなくなってもいい。今はそんなおだやかな気持ちで、毎日を送っています。 治療歴 2011年8月 排便時に潜血 2018年4月 前立腺がんステージ4と診断/PSA値 136.0 2011年8月 CAB療法(リュープロレリン、ビカルタミド) 2011年9月 PSA値 2.89 2011年11月 PSA値 0.04 2012年5月 PSA値 0.00 2012年10月 放射線治療開始 2012年12月 放射線治療終了 2015年2月 血尿 2015年3月 膀胱止血手術 2016年5月 再燃(PSA値 2.14)ホルモン薬変更(ゴセレリン) 2016年6月〜2017年8月 ゴセレリンによるホルモン治療でPSA値0.93〜1.29で経過 2017年8月 再燃(PSA値2.04) 2017年10月 医師から治験の提案 PSA値 2.29 2017年11月 「ビカルタミドによるCAB療法中に再燃した去勢抵抗性前立腺がん患者におけるエンザルタミドとフルタミドの無作為化比較試験」開始、フルタミド投与 2017年11月 フルタミド中止 PSA値 3.67 2018年1月 エンザルタミドに変更 PSA値 3.27 2018年2月 エンザルタミド中止 2018年3月 ソデックス投与、治験終了PSA値 4.13 2018年6月 緩和治療開始 PSA値 6.35 2018年8月 アビラテロン開始 PSA値9.37 2018年12月 PSA値 6.18までさがり、治療継続中 治験内容 治験名 ビカルタミドによるCAB療法中に再燃した去勢抵抗性前立腺がん患者におけるエンザルタミドとフルタミドの無作為化比較試験 対象疾患 去勢抵抗性前立腺がん 治験概要 ビカルタミドによるCAB療法中に再燃した去勢抵抗性前立腺がんに対する治験です。エンザルタミドとフルタミドを比較して、主要評価項目として3か月目にPSA値が50%以上減少した割合で評価する第2相臨床試験です。 フェーズ 第2相臨床試験 試験デザイン 無作為化、平衡群間比較、非盲検 登録数 104人 試験群 エンザルタミド 対照群 フルタミド 主要評価項目 3か月目にPSA値が50%以上減少した割合 副次的評価項目 6か月目にPSA値が50%以上減少した割合、3か月目に病勢進行した割合、PSAの無増悪生存期間ほか 関連記事リンク 大腸がんの治験に参加、出会った「治験コーディネーター」が心の支えに 治験は治療の1つ−普通の生活に戻るための手段 肺がんとの戦いと治験という体験―自分のために、そして人類のために
ゴナックスに特徴的に見られる副作用としては、注射部位反応があります。 注射した部位に、痛み、紅斑、しこり、熱感、腫れなどが現れることをいいます。 この薬は、1カ月に1回、腹部に皮下注射します。 注射部位反応は、注射をしてから2週間以内に現れます。 維持用量を4週間間隔で投与する場合 本剤80mgバイアルに日本薬局方注射用水4.2mLを注入し、溶解後速やかに4.0mLを皮下投与する。(4.2mLで溶解することにより、20mg/mLとなる。)
高須院長 2021/11/3、TVで。癌が完全に消滅したと。闘病6年。膀胱がん、尿管がん、腎臓がん。末期症状癌。ゲムシタビン投与。もう手の打ちようがなかった。膀胱癌を切除2021/1月。ゲムシタビンを膀胱がん切除後、、膀胱に直接投与。僕の先生が主治医。先生と相談して。2015年。膀胱がん、尿管がん、腎臓がん。5回手術。抗がん剤治療。2019年。6回目の手術。2020年。7回目、8回目の手術。2021年、9回目の手術。2021年6月、抗がん剤の治療。10/29.抗がん剤が効いている、がん細胞がほとんど消滅した。「膀胱内への抗がん剤直接投与」(保険適用外)入院中に整形手術。見回った患者さんから「先生頑張って、長生きしてね」元気のないかををしているとそういわれた。自分も若々しく見えるように、顔、筋肉を整形手術した。UBER医療(出張医療)をやります。坂上忍、特殊な抗がん剤治療でがん消滅宣言の高須克弥氏は「自分を実験台にまあ、すごい人だなと思います ... 高須院長「がん細胞がほとんど消滅した」 抗がん剤が効いているとし「この調子なら完全制圧も夢ではない」 10/29(金) 14:56配信 323 高須クリニックの高須克弥院長 末期がん治療中の高須クリニックの高須克弥院長(76)が29日、ツイッターを更新。「がん細胞がほとんど消滅した」と報告した。 高須氏は7月17日にユーチューブに「高須克弥 再生プロジェクトチャンネル」を開設。がん治療で「壊れてしまった顔」を再生する過程を伝えると発表し、同サイトやツイッターでこれまでもがん治療の経過など報告してきた。 高須氏は「かっちゃん がん制圧プロジェクトの検査結果が出た」と切り出し、「期待した抗がん剤がよく効いている。がん細胞がほとんど消滅した」と報告。さらに「この調子なら完全制圧も夢ではない」とした上で「攻めてよかった。なう」と喜びを短くつづった。 がん悪化の高須院長、半年以内に「世界初の治療」挑戦の意向「うまくいかなくても悔いはない」 [ 2020年11月10日 14:09 ] コメント 高須クリニックの高須克弥院長 Photo By スポニチ 高須クリニックの高須克弥院長(75)が10日、フジテレビ「バイキングMORE」(月〜金曜前11・55)にVTR出演。現在の病状について語った。 18年9月に「全身がん」であることを公表した高須院長は、今月6日に自身のツイッターで「検査の結果がすごく悪化している」と報告。9日に同番組の取材に答え、現在の体調について「最悪です。筋力は落ちちゃうし、体はだるい。散歩などをして、がんの治療ができる体力を維持している状態」と吐露した。 半年以内に「誰もやったことのない、世界初の治療」へ挑戦するため、準備を進めているという高須院長。「治験なし、動物実験なしでいきなり僕の体でやるわけですから、ちょっと冒険」とリスクを明かしながらも、「怖くはない。どっちみち死んじゃうんだから。うまくいかなくても悔いはない。いい医学データが取れるから次の人のためになる」と強調した。 高須院長 前日にがん治療の第1クール終了→即整形手術!「がんで壊れた顔を再生する!」 [ 2021年7月17日 20:33 ] コメント 高須クリニックの高須克弥院長(76)が17日、ユーチューブに「高須克弥 再生プロジェクトチャンネル」を開設。がん治療で「壊れてしまった顔」を再生する過程を報告することを発表した。 高須氏は「きのうまでに末期がん治療の1回目のクールが終わりまして、とりあえずすぐ死なない状態になりました」と報告。「次の2クール目が始まるまで数カ月の間をあけます。その間を使って、がんでだいぶ壊れてしまった顔を再生してやろうと思いまして、きょうから再生プロジェクトに入りました」と伝えた。 早速初日のこの日、下がってる眉毛と鼻の下を上げる手術を完了。表情は元気いっぱいとはいかなかったものの、「この後いろんなことをやっていって、次のがん治療の前までに、がん治療が始まった前ぐらいの状態まで再生させます」と意欲的に語った。 この話題を深掘りする
全身がん公表の高須克弥院長「がん制圧成功」で「攻めた」治療明かす 11/9(火) 19:29配信 236 この記事についてツイート この記事についてシェア デイリースポーツ カメラに気付き、サムアップポーズをする高須克弥氏 高須クリニックの高須克弥院長(76)が「第8回ベストプロデュース賞」を受賞し、9日、大阪市内のホテルで授賞式に出席した。 【写真】受賞にキラキラの笑顔を見せる高須克弥氏 10月29日にツイッターで「期待したより抗癌剤がよく効いている。がん細胞がほとんど消滅した」「かっちゃんの癌制圧プロジェクト成功。かっちゃんは当分死なない」と投稿し、注目を集めているが、「ツイッターの通り。治療はもう終了。毎月1回、検査するだけ」と笑顔で宣言した。 2014年の検査で尿管がんが見つかり、ぼうこうがん、腎臓がん、「予防的」に受けたという大腸の腫瘍を含めると、今年1月まで9回手術。「(制圧したのは)攻めた(治療をした)からですよ」と白い歯を見せる。 今年7月には点滴にしか使えない末期がん用の抗がん剤を、あえて尿管から直接投与するという「攻めた」治療に挑戦。この日、「僕がね、何か起こっても全部自分で責任持つから、って言って(治療を)受けたんだよ」と明かしていた。
ドクター中松氏6年にわたる治療でがん克服を宣言 [2019年9月13日16時47分] 都内の研究所で、がんに関する会見を開いたドクター中松氏(撮影・村上幸将) 都内の研究所で、がんに関する会見を開いたドクター中松氏(撮影・村上幸将) 発明家のドクター中松氏(91=本名・中松義郎)が13日、都内の研究所で会見を開き、13年に医師から余命は15年末までと宣告された、がんを克服したと宣言した。 中松氏は、13年12月に受けた健康診断で前立腺導管がんと診断され、医師から「余命は15年末まで」と宣告されたと明らかにしていた。さらに翌16年7月には、原子核を使う治療で、骨に転移しているのではなかろうかということが分かり、右骨盤に転移している可能性を指摘されたという。 中松氏は継続して治療、検査を続けた結果、2〜3日前に医師から右骨盤の骨がきれいになったと言われたと明かした。また会見の中で、前立腺導管がんも、血液の検査で前立腺がんの有無を診断するPSA検査の結果、直ったと判断できる0・01という数値が出て、中松氏自身は寛解したと判断していると明らかにした。
中松氏は「(判明した)13年から6年…2年で寿命が亡くなると宣告された。どう人生を凝縮するかとやってきたが、決着を得るまで6年かかった。ある報道では、死んだという報道も出て、皆さまにご迷惑をかけた。6年間、全ての力をかけて回復の努力をしてきた。がん患者の皆さんも決して失望せず、めげずに私の実績に光明を見いだしながら元気を出して頑張って欲しい」と語った。【村上幸将】 13年12月に前立腺導管がんと診断され、16年7月には検査で右骨盤に転移した可能性を指摘されたが、治療法もなく自ら10種類の治療法を発明。
前立腺導管がんの治療法の発明は「撰難楽」の精神で 治療法が確立されていない導管がんになった発明王・ドクター中松博士(86歳) 取材・文●吉田健城 撮影●村山雄一 発行:2014年10月 更新:2018年3月 なかまつ よしろう(サー・ドクター中松) アメリカ科学学会で歴史上の5大科学者(アルキメデス、キュリー夫人、ファラデー、テスラ、ドクター中松)に選ばれた。1928年東京生まれ。東京大学工学部・法学部卒。工学博士、法学博士、理学博士、医学博士、人文学博士。ロサンゼルスの大学でドクター中松創造学部設立。発明件数はエジソンの1,093件を超え、3,500件で世界第1位。代表的な発明に灯油ポンプ、フロッピーディスク、ハードディスク、カラオケ、自動パチンコ、フライングシューズなどがある 前立腺導管がんは、前立腺がん全体の1%に満たない極めて珍しいタイプのがんである。最大の特徴は、通常の前立腺がんと違いPSA(前立腺特異抗原)値の上昇が見られないケースが多いことだ。しかも希少がんであるため、標準治療が確立されていない。世界的な発明家として知られるドクター中松氏(中松義郎博士)が、この厄介ながんと診断されたのは今年(2014年)2月のことだった。 鼻に負担がかからず脳に良く、化粧が崩れないメガネ 腕に付ける携帯電話「スマ手」 発見のきっかけは大腸の検査 導管がんは、PSA値が低く症状が出ないので、医療機関を受診して見つかるケースは少ないが、中松博士の場合は別な部位の検査を受けた際、偶然に偶然が重なって発見された。 発見のそもそものきっかけになったのは大腸の検査だった。 「2008年に総合病院でS状結腸にできたポリープを内視鏡で切除しました。そこで、昨年末に5年経過したので、傷跡を検査しようと思いました。CT画像を見た医師が、『リンパ節が腫れている。S状結腸かどこかにがんがあるのではないか』と言ったのです。実は、あとで専門医に見せたらそれはただの血管で見誤ったのですが、そのときはリンパ節が腫れているということで、まず大腸のがんを疑い、内視鏡で丹念に調べました。しかし、何の異常も見つかりませんでした」 医師は前立腺がんの可能性は低いと見ていた。なぜならPSA検査の数値が4.0ng/ml台で、通常10.0ng/ml以上でがんの可能性がある程度出てくるからだ。 中松博士自身も医学博士なので、前立腺がんではないと思っていた。 「とくに前立腺がんに関しては、以前から警戒し、PSAの検査をして、これまで数値もずっと正常値でしたし、その日の検査で出た数字も4.0ng/ml台で正常値の誤差の範囲内でしたから、がんではないと思いました」 中松博士は「生検をしたらどうか」と担当医が言っていないことを提案した。完全主義者の中松博士は、受けてはっきりさせたかったのである。 こうして偶然受けた生検だったが、結果は思いもよらぬものだった。 「12カ所から採取した組織のうち2カ所から、グリソンスコアが8という顔付きの悪いがんが見つかりました」と担当医から報告を受けた。2005年、中松博士は米ハーバード大学で「人の寿命は最大144歳まで可能」という論文で*Igノーベル賞栄養学賞を受賞したのだが、がんという思いもよらぬ伏兵が潜んでいたのだ。 *Igノーベル賞=「高い理性とおもしろさを兼ね備えたハイレベルな研究」に対して授与される賞。米ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のノーベル賞受賞者の教授連が審査委員を務めるアカデミックな色彩の濃い賞。医学賞など各部門に分かれており、栄養学賞はそのうちの1つ がんを抱えながらの都知事選 当時、大学の講義などでアメリカにいた中松博士は、都知事だった猪瀬直樹氏が、徳洲会グループから5千万円の不明朗な資金提供を受けていた問題で辞意を表明したので、急遽都知事選に立候補するため帰国することになった。 がんを体に抱えた身で都知事選に打って出たのは、海軍の偉大な先輩の遺言を律儀に守り続けているためだ。 その先輩とは藤村義朗海軍中佐である。藤村中佐は大東亜戦争の昭和20年5月にスイスに駐在し、米国との終戦交渉を行ったことで知られる人物。中松博士は藤村中佐から弟のように可愛がられ、大きな影響を受けた。その藤村氏が死の床で「君が総理大臣になって日本を立て直して欲しい」と言い残して亡くなったことが、原点にあるのだ。 今回の都知事選でも中松博士は、がんに悪い冷え込みが厳しい中、精力的に遊説を続けた。大吹雪となり他候補者がすべて演説を中止したのにただ1人、最後までマイクを握り、タイムリミットの夜8時まで律儀に演説を通した。 治療法を求めてあらゆる病院を訪問 「選挙戦が終了して、直ちに日本で5本の指に入る専門家であるT病院のS医師を生検プレパラートを持って訪ね、顕微鏡で見てもらったんです。その結果、導管がんという治療法がないがんであることがわかりました」 権威あるS医師の説明によれば、導管がんは希少がんで、確立された治療法がなく、放射線治療は効かず、最新のロボット手術「ダヴィンチ」も使用できず、従来型の全摘手術でもだめだと言われた。なぜなら、「ダヴィンチロボット手術は、頭を水平より30度下げた姿勢を4時間保たねばならないため、中松先生が86歳なので緑内障になるのでダヴィンチは使えません」との御宣託だった。 そこで中松博士は、先端治療を受けられる医療機関を20くらいリストアップし、その全てに自ら足を運んで治療法を探した。 「国立がん研究センター東病院や筑波大学附属病院などでは、陽子線による治療はどうか尋ねたのですが、導管がんの症例がほとんどないので、それで治癒するかどうか、確かなことは言えないということでした。陽子線より強力とされる重粒子線の可能性も探るため、放射線医学総合研究所の重粒子医科学センターにも行きましたが、導管がんの症例は2例しかない上、いずれも成功していないということでした」 結局、どこを訪ねても解決策を見出すことができず、現状では導管がんの治療法がないことを思い知らされた。 他にも母校のT大学病院で30年間がんを研究したN医師から「先輩、がんを治療しすぎて副作用や後遺症が出てつらい思いをするということがあります。創造が出来なくなっては元も子もないのでは?」と言われた。 常に難しい道を選択 世間一般の高齢者なら、この助言を受け入れただろうが、中松博士は「撰難楽せんなんらく」が座右の銘で、難しい道とやさしい道があれば、常に難しいほうの道を楽しんで克服してきた人である。不治のがんという大敵に直面して、闘わずして白旗を揚げることは中松博士の生き方に反することだった。 そこで中松博士は余命2年の来年までに何をなすべきかを計画立案をしたのだ。
Sr.I.y 東北エンタープライズ社長 1935年生まれ、 1968-2004年社長(30歳から64歳)。 がんの発見1996年、2007年6月、69歳。根治を目指してIMRT完了.癌の発見から10年。ホルモン療法を始めて8年。IMRT療法完了でホルモン療法中止。この時69歳。2007/6。PSA0.42・2008/6・0.127.2009/5,0.059.それまで。1996/3,58歳。PSA,27.6本針生体検査、癌細胞なしの診断。(都内某大学病院泌尿器科部長)これが2.5年の痛恨の無為。。1999/4,PSA36.2度目の針生体検査は1泊2日。6本のうち2本から癌細胞。グリソンスコア8.骨シンチグラフィーとCTで転移なし1999/8。61歳。,8年続くホルモン療法スタート。LH-RHアゴニスト、ゾラデックス、3.6r/月、腹部注射。効果てきめん、3か月後には、PSA,0.9.10か月後には、0.2.(0.1ないし0.2)を上下。{性機能障害」は顕著・性的欲求は確実に衰え、仮に射精しても対外には出ない。医療費。病院へ毎月18500えん。その後内服薬が加わって、13000円。1か月の合計が、31500円。年額37万8000円。これは自己負担3割の場合・。PSAがじわじわ上昇、ホルモン療法を始めて、4年目から。「いわゆるPSAの再発」2003/10.PSA,0.6.2004/1,0.8.2004/12,1.042.2005/1,1.13.抗男性ホルモン剤カソデックス80mgの服用開始。注射とホルモン剤の2種類となる。男性ホルモンは、精巣と副腎から、前者が95%、後者が5%。注射が95%、服用が5%。カソデックスは毎朝服用。PSAは下降。PSA,2005/2,0.602.2005/6,0.436,2005/9,0.358.2005/12,0.28.カソデックス服用から1.5年後、2006/9,0.3.ホルモン療法は3年から5年で、薬の効果が低下。私の場合7年で、限界。「転移後も、抗がん剤や、放射線療法、などの延命治療を受けながら、あと、10年は生きられたとして78歳、」少し早いが諦められない年齢ではない「自分の中で、癌が静かに増殖している。でも今は、痛くもかゆくもない」」、 2006/910.主治医からに意外な提案。「PSAの再発は想定していたことです。長期間のホルモン療法で、薬に耐性が生じ、治療効果が弱まった結果、癌が活動を始めたわけです。IMRTをは始めませんか」「ぜひお願いします」2006/11/6,紹介状、カルテ、生体検査でのがん組織の標本、CT,MRIのフイルム。東北大学病院。放射線治療の前に、手術。1週間程度入院。1.リンパ節の切除。2.金マーカーの埋め込み。医療費、IMRTは先進医療のため、自己負担、約100万円。「リンパ節の切除摘出で、がんが発見されてもIMRTの治療は行います」「リンパ節で癌の見つかる確率は」「「30%位で低くはありません」「鏡視下リンパ節郭清及び金マーカー埋め込み」手術。2007/1/10、準備開始。「手術、生体検査に関する承諾書」「最後に苦しまなければ、がんは怖くない」「「緩和ケアの病棟の専門医が鎮痛剤を上手に使ってくれたからだ」「最後の3時間くらい、のたうち回って苦しみ地獄を見るようだった」人も。先崎一郎 PSA 推移。手術前、2008/12、0.35.手術後、2009/1、0.55まで上昇。IMRT.2009/4/10.IMRT開始、40回、2GRY/回、合計40GRY.5回/週。IMRT支払い、IMRT大、96.16万円(自己負担分)40回合計分。保険適用分。1.7万円。合計97.86万円。副作用:急性期:直腸炎(下痢、排便通)。膀胱炎(頻尿),尿道炎(排尿痛)。晩期:直腸出血(下血)、膀胱出血(下血)、尿道狭窄(尿閉)。期待される効果:病巣の消失縮小。 副作用推移。 10回目ごろから、頻尿。17回目に頻尿防止薬処方。2か月分。30回目ごろから、軟便で、便秘きみ。IKRT語のPSA推移。2007/4/10,0.418.5/9,0.42.5/15,0.385.6/8.IMRT終了。ホルモン治療終了。6/19,0.28.8/8,0.26。12/05,0.209.2008/3/5,0.165.2008/6/4,0.127.2008/11/26,0.085。2009/5/27,0.059..。私はIMRTで、80GRYの勝者を受けた。従来の一般放射線放射では70GRYがMax.他の臓器に損傷を与えるため。対談:相手。日本でトップクラスの動物医薬品メーカーで副社長までやられた人。「癌を見つけたきっかけは」「小便が近くなった「PSAは10だった、10年前で、70歳だった」」陛下も同じくらいのPSAだった。陛下も摘出手術を受けた残念ながら再発しています。ホルモン療法を続けられたが報道では骨密度の低下がある。「ホルモン療法を始めて、3年目に間欠療法。PSA0.1の時)療法に切り替えた」。(PSAが0.1の時)僕は注射はやっていない。飲み薬だけ。ホルモン療法は一般的に5年くらいで薬が効かなくなる。これを10年に延ばすのが可能なんです。これが間欠療法です」同時に副作用も少なくなります。まさに一石二鳥です。間欠療法。PSAの 上限を決める。私は上限2,下限0.2.とした。薬を中止して、2まで上昇したら、薬をはじめ、0.2まで下がったら、薬をやめる。3か月ぐらいの期間で0.2まで下がり、4か月くらいで2まで上がる。そしたら薬を飲み始める。この繰り返しです。休んだのちの薬がまたよく聞くんdすよ。だから僕は1年のうちに4か月しか薬を飲んでいないのですよ。これは続けて飲んでいる人の3分の1しか飲んでいないので、副作用も3分の1ですよ」耐性についても同じだから続けて飲んでいる人の耐性が5年でも私の場合の耐性は15年なのですよ。このくらい間欠療法のメリットは大きいですもちろんリスクがゼロではありません。上限の2を超えてPSAが上昇する可能性も李マス。慎重論であればPSA、や癌の人相、年齢などを含めて判断されるでしょう。結果が悪くても、医者に責任を擦り付けてはいけない。治療方法の最終判断は自分で出すべきです。。「性機能障害についても話さないわけにはいきません「インポテンツ・チンポがだんだん退化する」」の」
https://www.min-iren.gr.jp/?p=3177 患者さんの明暗・Aさんの場合 さて、以上の知識をふまえて、次の話をお読みください。明暗がわかれた典型的な前立腺がんの患者、お二人のケースです。 Aさんは58歳。市の住民健診のさい希望者のみにおこなっているPSA検査を今回は受けてみました。正月に田舎で集まったとき、前立腺がんで通院中のお 兄さんから、いろいろ検査や治療のことを聞き、PSA検査の話題も出たからです。 健診の翌月、結果が返ってくるとPSA数値は8・8でした。前に書いたとおり、PSAは4以下が正常です(図4)。2次検査として泌尿器科を受診するよ うすすめられ、私たちの病院にこられました。排尿に障害はなく直腸診、経直腸前立腺エコーも異常はないが、PSAは当院でも8・7と高い結果でした。 そこで前立腺生検をしたところ、8カ所のうち2カ所から前立腺がんが検出されました。さっそくMRI検査やCT検査、骨シンチグラフィーをおこないまし たが、浸潤、転移はみられず、病期B(限局がん)と診断しました。 治療法として、手術、放射線治療の説明をすると、Aさんは手術を選択されました。 手術のさいの問題は2つあります。1つは出血、もう1つは術後の合併症(尿失禁、勃起障害)です。 出血にたいしては、手術前にご自身の血液をストックしておく自己血という方法をとりました。これは術前に貯めた血液を手術時に戻し、他人の血液の使用を 避ける方法です。結局Aさんは出血量600ccでご自身の貯血のみで対応されました。 尿失禁についても、術後尿道カテーテルを抜いた直後はパット(おしめ)が必要でしたが、その後括約筋のトレーニングをして、術後1カ月程度でほぼ改善しました。 勃起障害については、手術のとき前立腺の周囲にある勃起神経もとってしまうため、ふつうは術後必発です。勃起を強く希望される場合は、がんと離れた側の 勃起神経を温存する方法もありますが、それでも回復100%ではなく、がんの取り残しにつながる可能性もあるため、Aさんは通常の摘出を選ばれました。 摘出した前立腺を病理検査で詳細に調べましたが、がんが前立腺外へとび出ている所見はなく、リンパ節への転移もありませんでした。術後のPSAは0・1 未満と測定限界以下となっていました。 術後5年以上たった現在も、PSA値は0・1未満を継続しています。 患者さんの明暗・Bさんの場合 Bさんも同じ58歳でした。しばらく前から尿の出が悪いと自覚していましたが、そろそろ年のせいかなと思い、仕事も忙しいため、ようすをみていました。腰痛がありましたが湿布と、日曜日の近所の温泉センター通いで紛らしていました。 ある朝起きたら左足がしびれて動かず、あわてて整形外科へ。レントゲンをみた医師はすぐ泌尿器科に行くよう指示しました。Bさんは車いすで外来を受診しました。 直腸診では前立腺は石のようにガチガチで、エコーでも輪郭が不整になっていました。PSA値は788と異常高値で、前立腺生検を施行したところ、全採取 部位からがんが検出されました。骨シンチグラフィーでは腰椎、骨盤の骨に多発性の転移が認められました。病期Dと診断され、ただちにホルモン療法を始め、 また腰椎の転移部にたいし放射線療法をおこないました(図6)。 1カ月後Bさんは歩いて退院しましたが、PSAの値は18が最低で8カ月後から再上昇が見られ、1年半後には1000以上にまでなり、結局亡くなりまし た。前立腺がんと診断されてから2年半後でした。 PSAが普及してきた今でもBさんのような残念なケースがまだ多くあります。もちろん、症状の出る前にPSA検査をしていればBさんを前立腺がんで死な ないように必ずできたかといえば、それはわかりません。ただ、PSA検査という非常に便利で有用な道具を持っている今、せめて何年か前にBさんがPSA検 査を受けていれば違う結果になったかもしれないと思うと、残念です。 図6 病期(ステージ)別治療 genki153_08_06 PSA検査もっと広めたい じつは、私の母校の群馬大学泌尿器科教室では、20年以上前から群馬県で前立腺検診を施行してきました。 私が大学で検診業務に携わった一九九三年(平成5)に、初めてPSA検査が導入されました。そしてその年の集計では前年までに比べ3倍の前立腺がんの発見 率、しかも早期がんの割合が多いという結果がでて、「PSA検査というのはすごいぞ」と実感したのを覚えています。 それから10年以上たって、今では泌尿器科の常識となったPSA検査ですが、残念ながらまだまだ一般に完全に普及したとはいえません。 自治体によってはPSA検査を一般の住民検診に導入したところもあり、開業医の先生でも積極的にかかりつけ患者さんのPSA検査をして異常値であればま めに紹介していただけるケースもあります。 ですが、昨年の当院泌尿器科を初めて受診した前立腺がん患者さんの50%は進行がんで、うち20%は転移がんでした。 何とかこの進行した前立腺がんの患者さんを1人でも減らしたい。そのためにも今回これを読んでいただいたなら、ぜひ1度はPSA検査を受けてみてください。 50歳を過ぎたら年に1度はPSA検査を――それによって「少なくとも前立腺がんでは死なない」といえるようになればと思います(図7)。
https://juntendo-urology.jp/treatment/pharmacotherapy/ ホルモン療法後の経過 pharmacotherapy07ホルモン療法の効果の持続期間には個人差がありますが、前立腺がんの悪性度を示すグリソンスコアの点数が高い人、腫瘍マーカーPSAが最初から高い人、転移をすでに認める人は比較的早期に効かなくなる傾向があるようです。中には治療を継続することで、長い人は10年以上も病気が進行することがない人もいます。 pharmacotherapy08効果の判断はPSAが最も鋭敏です。PSA値が低下している間はがん細胞が押さえられていると考えられます。逆に上昇した場合は病勢が悪化していると言えます。その場合は注射や内服薬を変更して、経過を見る場合が多いです。 ただし、PSA値と病勢が一致しないこともありますので、定期的なCTや骨シンチグラムなどの画像による評価も必要です。 アンドロゲン除去治療 抗アンドロゲン剤を長期間使用していると効果がなくなりPSA値が上昇する場合があります。そこで内服薬を一度中止するとPSA値が下がる場合があります。 アンドロゲン交替療法 アンドロゲン除去療法によって下がったPSA値も、多くの場合半年程度で上昇してしまいます。その際には、別の抗アンドロゲン剤やイクスタンジ(エンザルタミド)やザイティガ(アビラテロン)などの新規ホルモン剤を使用します。 去勢(ホルモン)抵抗性前立腺がん 転移性の前立腺がんはいずれホルモン治療に抵抗性になります。このホルモン抵抗性の病態を「去勢抵抗性前立腺がん」と言います。この状態になると、通常はさらにアンドロゲンを強力に抑える新規薬剤イクスタンジ(エンザルタミド)やザイティガ(アビラテロン)を使用します。この薬剤は非常に効果的な薬剤であり、海外の報告でも去勢抵抗性前立腺がんの全生存率の延長に寄与しています。しかし、この薬剤でも初期投与から効果を示さない患者さんが約3割いるのが現状です。また、投与継続中にだんだん効果が落ちてきて、下がっていたPSA値が再度上昇してくることもあります。 これら新規ホルモン薬剤の加療を行なっても、PSA値が上がってきたらどうするか。この悩ましい点を打開したのが抗がん剤のドセタキセルです。 抗癌剤というと吐き気など副作用の強いイメージがありますが、ドセタキセルの副作用は比較的軽く、外来通院での加療が可能です。がんがホルモン治療に抵抗性になり、アンドロゲン除去療法や交替療法を行っても、PSA値が上がってきたらどうするか。この悩ましい点を打開したのが抗がん剤のドセタキセルです。pharmacotherapy09投与方法はドセタキセルを3-4週毎に点滴注射します。また白血球が下がることが多いので、一般的には投与してから約1週間後に外来で白血球を増やす薬を投与します。 順天堂では外来通院で抗がん剤の治療可能です。副作用の確認のため、初回導入の際には入院での投与をお願いしています。 副作用の起こりやすい時期 主な副作用 当日 アレルギー反応 数日以内 発疹、悪心・嘔吐、食欲低下 数日?数週間 骨髄抑制、口内炎、筋肉痛、下痢など 数ヶ月 むくみ、しびれ、倦怠感など 投薬のスケジュール
https://plaza.rakuten.co.jp/tennisoyabaka/diary/201709240000/ PSAが1000以上で私Uromasterの病院に来られる患者さんが時々いらっしゃいます。 2001年1月から2016年12月の間に 私Uromasterの病院佐賀県医療センター好生館の泌尿器科にPSA1000以上で見つかった患者さんは45人いらっしゃいました。 16年間に45人ですから、1年間に3人弱ぐらいの数でしょうか。 こんなにたくさんのPSA1000以上の患者さんをみている病院は日本でも、あまりないと思います。 https://plaza.rakuten.co.jp/tennisoyabaka/diary/201709060000/ 前立腺がんが見つかった場合に転移があれば転移性前立腺がんですが、限局性前立腺がんで見つかって根治療法を行ったのち、再発進行して、遠隔転移が出てくれば、転移性前立腺がんと同じ状態になります。 転移性前立腺がんの遠隔転移先として、内臓転移は少なく、転移性前立腺がんの90%に骨転移が認められるといわれています。 骨転移は、前立腺がん患者さんの死因の最たるものです。 つまり、前立腺がんの患者さんの死因で一番多いのは骨転移の悪化によるものです。 また、内臓転移も、骨転移を経由して起こるという考え方もあります。 骨転移の悪化を防ぐことが、進行を抑え、生存率の改善、すなわち延命につながります。 おおざっぱに言えば、 『転移性前立腺がんの治療』イコール『骨転移のある前立腺がんの治療』 イコール『骨転移の治療』、『骨転移の悪化を予防』 イコール『生存率の改善』ということになります。 骨転移も初期の場合は、無症状なことが多いです。 症状が出るとすれば、痛み、脊髄圧迫、骨折(病的骨折)などですが、骨折、脊髄圧迫、高カルシウム血症があれば、緊急な対応が必要となります。 骨転移の症状としては、骨転移のある場所の痛みが出ることがほとんどです。 前立腺がんの骨転移は造骨性であることが多く、溶骨性の骨転移より、病的骨折はあまりみられません。 繰り返しますが、 骨転移は、前立腺がん患者さんの死因の最たるものです。 つまり、前立腺がんの患者さんの死因で一番多いのは骨転移の悪化によるものです。 大部分の転移性前立腺がんの治療の標的は、骨転移に対する治療ということになります。 近年、骨転移にたいする治療も進歩してきました。 ゾメタ、ランマーク、メタストロン、ゾーフィゴなどです。 前立腺がんが見つかった時にすでに骨転移がある場合は、進行性前立腺がんとして治療されます。 転移性前立腺がんとして最初に前立腺がんが見つかった場合、内分泌療法が最初に行われ、しばらくの間は、前立腺がんは制御され、骨転移も沈静化した状態になることがほとんどです。 骨シンチ上も、転移巣の改善がみられることも少なくありません。 しかし、去勢抵抗性前立腺がんとなって、単純な内分泌療法の効果が出なくなると、おとなしくしていた、骨転移も進行悪化してくるようになります。 骨転移の症状が出て、ALP(アルカリフォスファターゼ)も上昇してきます。 去勢抵抗性前立腺がんになるまでの期間は患者さん患者さんでちがいます。 この期間に影響する要素として、内分泌療法によるPSAの低下している期間、PSAの最低値、グリソンスコア、再発してからのPSA倍加時間などが考えられますが、実際は、内分泌療法をおこなってみないとわからないことが大半です。 去勢抵抗性前立腺がんになるまでの期間が短く、すぐにPSAが再上昇するような場合は、骨転移も急速に悪化し、進行してしまいます。 最初に前立腺がんが見つかった場合に、骨転移がすでにあれば、ゾメタやランマークの治療を行うことで、骨転移による症状が出るのを遅らせることができるといわれていて、どちらかの治療をうけている患者さんは多いと思います。
https://www.wakarugantenittmgd.com/latest/prostate_cancer.html 骨転移 前立腺がんの転移先でも多いのが骨への転移です。特に腰椎や骨盤に転移しやすいのですが、時には背骨や肋骨などにも転移します。 転移したかどうかは、骨の癌に集まる性質を持った放射性物質を注射し、特殊なカメラで撮影する「骨シンチグラフィ検査」で骨への転移の有無を調べることができます。 症状 痛みや麻痺 骨折しやすくなる 高カルシウム血症 骨に転移した前立腺がんは、ほとんど初期症状がありません。転移に気づかないまま癌が進行してしまうと癌細胞が骨の中の神経を刺激し、痛みや麻痺といった症状を起こします。なかには、骨のカルシウムが血液中に流れ出る「高カルシウム血症」を引き起こすこともあり、食欲不振や吐き気、意識障害などが起こることも。また、癌が転移している骨は徐々に弱くなっていくので、些細な負荷で骨折しやすくなります。 治療方法 前立腺がんが骨へ転移した場合はホルモン療法や化学療法での治療が一般的です。よく使用される「ゾレドロン酸」や「デノスマブ」といった抗ホルモン剤は骨を破壊する細胞を抑制し、癌の進行を抑えてくれます。 転移先が骨のみの場合「ゾーフィゴ」という放射線医薬品を使った治療も有効です。 ゾーフィゴには、アルファ線という放射線を放出する放射性物質「ラジウム-223」が含まれています。ゾーフィゴを体内に注射すると、ラジウム-223が癌に転移した骨に運ばれ、アルファ線が癌細胞の増殖を抑えてくれます。 リンパ節転移 骨の次に前立腺がんが転移しやすい部位がリンパ節です。特に多く見られるのが、前立腺の周りにあるリンパ節への転移。リンパ節への転移を調べるには、CT検査や腹部エコーなどが使用されます。 症状 下半身のむくみ しびれ 排尿障害 前立腺がんがリンパ節へ転移するとリンパの流れが悪くなり、下半身がむくむようになります。他にもリンパ管が炎症を起こし痺れといった症状が出たり、排尿が困難になったりします。転移がさらに悪化した場合は下半身麻痺を引き起こす危険性もあります。 治療方法 前立腺がんがリンパ節へ転移した場合は、ホルモン療法で癌の進行を抑制する治療法が一般的です。しかし、長期間継続して抗ホルモン剤を使用すると、期待できる効果が徐々に薄れてしまうことも。その場合は、別のホルモン剤を追加したり、他の治療法への切り替えを検討しましょう。 また、前立腺がんが骨盤リンパ節へ転移してしまった場合、遠隔転移する可能性が高いです。その場合は、ホルモン療法と放射線治療を併用することもあります。 脳転移 前立腺がんが末期まで進行してしまった場合、脳に転移する可能性があります。前立腺がんが脳に転移するのはとても珍しいケースです。
https://ohori-hosp.jp/division/urology/about-psa/ PSAとは? /PSA発見の歴史 /PSAを分泌するのは人間だけ? /PSAは前立腺のみから分泌される? /PSAはなぜ血液中に検出されるのか? /がん以外にPSAが上昇する原因は? /PSAのカットオフ値は4.0ng/mlでよいのか? PSAとは? 「ピー・エス・エー (PSA)」は前立腺特異抗原(prostate specific antigen)の英語の頭文字からとった略語です。PSAは男性だけにある前立腺という生殖器官で産生されるタンパク質で、精液の中に混じって、ゲル状の精液をさらさらにすることで精子の運動性を高める役割があると言われています。 PSA発見の歴史 PSAは1966年に“ガンマセミノプロテイン”という名前の蛋白質として同定され、1971年に日本人である原らによってその特徴が位置づけられました1。その後1979年にWangらによってPSAが前立腺組織から抽出され、前立腺特異抗原:PSAと名付けられました。1980年には血液中にPSAが検出されることをPapsideroらによって初めて報告され2、1986年には米国で、PSAが前立腺癌に対する治療効果をモニタリングするマーカーとしてFDA(アメリカ食品医薬品局: Food and Drug Administration)から承認がなされています。前立腺がん検診におけるPSA測定の有用性が前向き試験で検討されたのは1991年になってからのことで3、前立腺癌の診断マーカーとしてFDAの承認を得たのは1994年のことです。以降、米国を中心にPSA検査が急激に広まり、同時に前立腺がんと診断される患者さんが激増しました。この頃から日本でもPSAが前立腺がんの診断や治療効果を判定する重要なマーカーとして広く使用されるに至っています。 PSAを分泌するのは人間だけ? PSAを保有している動物は限られており、「人間」と、「犬」の体内でPSAは産生されていることがわかっています。興味深いことに世の中の動物たちの中で、人間の男性と犬は前立腺がんや前立腺肥大症に罹患する可能性がある数少ない動物なのです。 PSAは前立腺のみから分泌される? PSAは前立腺“特異”抗原と呼ばれるため、前立腺のみから分泌されるタンパク質と考えられていますが、実際には前立腺以外の臓器、例えば乳腺、唾液腺、下垂体、甲状腺などの臓器にも微量のPSAが検出されることがわかっています。したがって女性にPSAを測定しても、ゼロではないのです。しかしながら、とても微量のため、日常診療では「前立腺のみから分泌されるタンパク質」と理解して問題ありませんし、PSAが高い場合に、前立腺以外の病気を疑う必要性はありません。 よく患者さんから聞かれますが、たとえば前立腺がんが骨に転移した場合(骨転移がん)、確かにがんがあるのは骨なのですが、“前立腺がん細胞”が骨に飛び火したと考えますので、転移した骨のがんもPSAを産生します。 PSAはなぜ血液中に検出されるのか? 前立腺は、「腺」という名がつく通り、多数の腺管と呼ばれる管状構造をもっています。正常ではPSAはこの腺管内に閉じ込められており、血液中には非常に微量のPSAしか出てきません。50歳以下の健常男性では血液中のPSA値の中央値は0.6 ng/ml (ナノグラム/ミリリットル)ですが、精液中には血液中PSAの1,000,000(百万)倍のPSAが存在すると言われており、血液中に入り込んでくるPSAは極めて微量であることがわかります。 「前立腺がん」があるとなぜ血液中のPSAが上昇するのでしょうか?古くから言われている原因として、がんの発生によって、正常の前立腺腺管構造が破壊され、腺管内に包埋されていたPSAが腺管外に流れ込み、PSAが血管から吸収されることで血液中のPSAが上昇すると言われています。以前からこの仮説が信じられていますが、実際にPSAが血液中に入り込むメカニズムを明確に示した研究データは存在しません。あくまでもそのように説明した方が理解しやすいため広まった考え方だと思います。 がん以外にPSAが上昇する原因は? 血液中のPSAは前立腺がん以外でも、加齢や前立腺肥大症、急性前立腺炎などの尿路感染症において上昇することがあります。排尿障害(尿閉)、射精、長時間の座位やサイクリング、尿道の操作(導尿、膀胱鏡検査など)、直腸診などでも一過性に上昇することがあり、注意する必要があります。 一方で、前立腺肥大症に対する薬物治療薬である5α還元酵素阻害剤(デュタステリド:アボルブR)や男性型脱毛症に対する5α還元酵素阻害剤(フィナステリド:プロペシアR)などを内服しているとPSA値が低下しますので、これらの薬を内服している場合にはPSA値を2倍した値を本来の値と考え、判断する必要があります。 PSAのカットオフ値は4.0ng/mlでよいのか?
PSAとは、Prostate Specific Antigen(前立腺特異抗原)の略語です。これは前立腺の上皮細胞から精液に分泌されるタンパクで、射精直後のゲル状の精液をさらさらする働きがあるといわれています。その一部は血液中にも存在し、前立腺のがんや炎症などで血液中のPSA値が高くなることがわかっています。
http://www.aomorih.johas.go.jp/guide/umineko/2018/9.php 前立腺の働き@ 精液の一部の前立腺液(前立腺特異抗原:PSA)を産生・分泌する臓器です。PSAの役割は、射精後の精液を液化し、精子を遊離することにより女性生殖器管内で遊走させることです。前立腺液がないと、自分の力で受精することができないのです。 PSAは通常、総排出量のわずか(0.1%未満)が血流に吸収されるのみで、血清値は4ng/ml※以下です。前立腺疾患では腺管構造が障害されるため、血流に吸収され、PSA値が通常値より高くなります。PSAは前立腺がんで高値になるため、前立腺がんの腫瘍マーカーとして使用されています。前立腺肥大症や前立腺炎でも高値を示すことがあります。 ※ 1ngは1gの10億分の1、1mlは1?の千分の1 前立腺の働きA 射精をするために必要な臓器です。射精時は精液が膀胱へ逆流しないように膀胱頚部(膀胱からの出口)が硬く閉鎖し、前立腺内が「圧力室」になり、球海綿体筋の拍動性収縮し射精します。前立腺がないと射精することができません。 以上のように子供を作るために非常に重要な働きをする臓器なのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E6%B6%B2 精液は液体成分「精漿(せいしょう)」と細胞成分「精子」とで構成される。 精液は、その3割程度が前立腺の分泌液(前立腺液)で、残りの7割程度が精嚢からの分泌液(精嚢分泌液)で、これらの混合物の中に精子が懸濁している状態である。倍率400倍程度の顕微鏡で精液を観察すると、精子が鞭毛を動かしながら泳いでいるのを観察することができる。
ゲルとは - コトバンクhttps://kotobank.jp ? word ? ゲル-60078 コロイド溶液 (ゾル) が流動性を失ってゼリー状となったもの。固まった寒天,豆腐,こんにゃく,シリカゲルなどはその例。高分子物質またはコロイド粒子がその相互作用 ...
ALP 前立腺がんは骨転移の多いがんです。 骨に転移すると骨折しやすくなり、部位によっては寝たきりになるなど、骨転移によって患者さんの生活の質は大きく低下します。 PSA 検査だけでなく、ALP(アルカリホスファターゼ)の数値や骨シンチグラフィーなどを用いて骨転移を発見し、治療を行っていくことが重要です。
ALP 骨転移を有する前立腺癌において, 内分泌療法によりPSA値がPR以上の効果を示した症例におけるALP flare現象について検討した. 1)対象症例60例中flare群が13例, non-flare群が47例. 2)ALP flare群は有意にEOD gradeが高く(p=0.0352), PSAが高値であり(p=0.0010), ALP flare現象はより進行した症例に認められた. 3)ALP flare群は内分泌療法によりPSAが正常化しにくく(p=0.0211), 再燃迄の期間が短かった(p=0.0027).以上より, 骨転移を有し内分泌療法によりPSA値にPR以上の効果が認められた前立腺癌症例において, ALPのflare現象を認めた場合はなんらかの追加治療をprospectiveに考慮する必要がある 骨転移を伴い、ホルモン療法で治療された前立腺癌におけるアルカリホスファターゼ(ALP)フレアの役割を明らかにするために、ALPフレアの有無にかかわらず、臨床病理学的特徴、治療効果、および転帰を評価しました。骨転移を伴い、ホルモン療法で治療された、新たに前立腺癌と診断された60人の患者を評価しました。これらの患者の血清前立腺特異抗原(PSA)レベルに関する反応は、部分反応(PR)以上の反応を示しました。患者は、ALPフレアグループ(13例)と非ALPフレアグループ(47例)の2つのグループに分類されました。前者は2倍以上の血清ALP上昇を示し、後者はホルモン療法後の治療前レベルの2倍未満の上昇を示した。患者の特徴、PSAの反応と結果を2つのグループ間で比較しました。骨転移のグレードとしての疾患の程度(EOD)は、非フレア群よりもALPフレア群で有意に高かった(p = 0.0352)。治療前の血清PSAレベルも、ALPフレアグループで有意に高かった(p = 0.0010)。ただし、治療前の血清ALPレベルに有意差はありませんでした。血清PSAレベルは、ALPフレアグループの13人中6人(46.2%)と比較して、非ALPフレアグループの47人中37人(78.7%)で正常化されました(p = 0.0211)。さらに、生化学的障害までの期間は、ALPフレアの方が非フレアグループよりも有意に短かった(p = 0.0027)。これらの結果は、ホルモン療法に反応してALPフレアが観察される骨転移を伴う前立腺癌患者は、より広範囲の骨転移を有する傾向があることを示唆している。
ALP https://betterl.bayer.jp/zenritsusengan/know/metastasis/bone 前立腺がんは骨転移の多いがんです。骨に転移すると骨折しやすくなり、部位によっては寝たきりになるなど、骨転移によって患者さんの生活の質は大きく低下します。PSA 検査だけでなく、ALP(アルカリホスファターゼ)の数値や骨シンチグラフィーなどを用いて骨転移を発見し、治療を行っていくことが重要です。骨転移の治療は進歩しており、早期の骨折や痛みの多くは適切な治療で対処可能です。痛みの症状は、本人以外は気づきにくいものです。がんとは関係のない症状だと自己判断したり、我慢したりしないで、看護師・医師などの医療従事者に相談することが大切です。
ALP 骨代謝マーカー 破骨細胞や骨芽細胞が活発に働くと、血液中や尿中に増加するマーカー ALP(アルカリホスファターゼ) BAP・NTx・1CTPなど 骨転移で最も問題となるのは、生活の質(QOL)の低下です。 骨転移の進行による麻痺や骨折などの症状をできるだけ避けるためには早めの受診が大切です。 以下のような症状がみられた場合は、自己判断せずに、看護師・医師などの医療従事者にお伝えください。 背中・腰の痛み 痛みの程度は、軽いもの 骨転移で最も問題となるのは、生活の質(QOL)の低下です。 骨転移の進行による麻痺や骨折などの症状をできるだけ避けるためには早めの受診が大切です。 以下のような症状がみられた場合は、自己判断せずに、看護師・医師などの医療従事者にお伝えください。 背中・腰の痛み 痛みの程度は、軽いもの 痛みの程度は、軽いものから重いものまで様々です。 体を動かしたり、体重をかけた時に痛みが強くなることがあります。
ALP Alt tag 手足のしびれ、力が入らない 手足がしびれたり、力が入らない、足がもつれたり、踏ん張りがきかない、などの症状に気づいたら、すぐに担当医師に連絡してください。
病期診断 生検検査でがんと診断が確定したら、次に行うことは病気の進行度の診断です。治療法の決定に必須の検査です。 病期診断法 1.原発巣の進行度診断 直腸診、経直腸エコー、MRIなどで診断します。 2.リンパ節転移の診断 腹部CT、MRI、腹部エコーなどで診断します。 前立腺がんはリンパ節と骨(特に脊柱と骨盤骨)に転移しやすいがんです。 リンパ節に転移すると下肢のむくみ、骨に転移すると痛みや下半身の麻痺が生じることがあります 3.骨転移の診断 骨シンチグラム、単純X線写真、CT、MRIなどで診断します。 前立腺がんの骨転移は、脊椎や肋骨、骨盤に起こることが多く、続いて大腿骨にみられます。 4.肺、肝転移などの診断 単純X線写真、CTなどで診断します。
ステージWにおける5年生存率は30%を超えています。もともと前立腺がんは進行が遅いがんであるため、たとえ末期の状態までがんが進行していても、継続的に治療を続けていくことで余命を長く保つことができるケースもあります。
前立腺癌 リンパ節転移 症状 の学術記事 リンパ節転移に伴う症状を主訴とした前立腺癌の 3 例 - ?増田均 - 被引用数: 3 … 癌の検討-リンパ節の転移様式および stageD1 前立腺癌の … - ?荒井陽一 - 被引用数: 7 前立腺癌がリンパ節に転移した場合はリンパ液の流れが滞り、足や陰嚢、下腹部 に浮腫が生じたり、腎臓から膀胱へ尿を送る尿管を圧迫し、尿の流れが障害されて 水腎症を起こし、腎臓の働きが低下する場合もあります。 排尿障害などにて医療機関を受診され、前立腺癌を疑われた際、あるいは検診な どにて行う検査です。 下肢のむくみ。
https://www.gankotsuteni.info/pc/about_01.html 前立腺がんでは骨転移の頻度が高い 前立腺がんは、年齢とともに増加する「高齢者のがん」です。 この理由として、前立腺がんではひとつのがん細胞ができてそれが増殖し、治療を要するようになるまでに40年近くかかることがあげられます。 つまり、年齢を重ねるとがん細胞の数が増えてきて、60歳を超えると前立腺がんの発現率も高くなり、80歳以上では20%前後になるといわれています。 また、前立腺がんは、尿道や膀胱から離れた場所(外腺)に発生することが多く、腫瘍が大きくならないと排尿障害が起きません。 その一方で、前立腺がんには「骨転移の頻度が高い」という特徴もあります。 前立腺がん患者さんのうちホルモン治療抵抗性の場合、85%の方に骨転移がみられます。 https://www.gankotsuteni.info/pc/about_05.html 骨転移の主な症状 骨転移が起こると、痛み、しびれや麻痺などの症状が現れたり、骨折が起こったりします。このような、さまざまな症状によって日常生活に大きな支障をきたすことがあります。そのため、早期に治療を開始することが大切です。 痛み がん細胞が周囲の神経を刺激すると、痛みが起こります。最初は軽い痛みですが、徐々に強い痛みに変わっていきます。体を動かしたり、転移した場所に体重がかかると、強く痛むこともあります。 痛みイラスト 骨折 骨が弱くなるため、ちょっとした力がかかるだけで骨折することがあります。 骨折イラスト 脊髄圧迫 脊髄(背骨の内側にある神経の束)が、がんや骨折などで圧迫され、痛みや筋力低下、手足のしびれや麻痺などが起こります。 脊髄圧迫イラスト 高カルシウム血症 骨のカルシウムが血液に流れ出すため、血液中のカルシウム濃度が高くなります。便秘、吐き気、食欲喪失、嘔吐、疲労などのさまざまな症状がみられます。 高カルシウム血症イラスト
質問 ALPの検査方法が2020年4月から変更になるのですか? 当社で測定している血清アルカリホスファターゼ(ALP)は、JSCC常用基準法の測定試薬を用いて測定しています。これは供与体基質である4-ニトロフェニルリン酸(4-NPP)と受容体基質で緩衝液成分でもある2-エチルアミノエタノール(EAE)を用いた測定法で、肝、骨、小腸、胎盤の各アイソザイムに対する反応性がほぼ均一となっています。EAE緩衝液は肝硬変などで上昇する小腸型を感度良く測定するためですが、血液型B・O型でSe(Fut2)分泌型の場合は、疾患と無関係に食事(とくに高脂肪食)の後に小腸型ALPが上昇し、健常人でも高値を示す一因となり問題提起されていました。 一方、国際臨床化学連合会(IFCC)では、臨床的意義を高めるには小腸型ALPの反応性を低く抑えて肝・骨型優位な条件で測定すべきとして、受容体基質である緩衝液に2-アミノ-2-メチル-1-プロパノール(AMP)を用いた測定法をIFCC基準測定法として提示しています。日本を除く国においてIFCC基準測定操作法に準じた試薬で測定されているのが現状で、わが国独自の測定方法では国際的な治験に参加することが難しい状況になっています。 これらを踏まえて、日本臨床化学会は2020年4月より1年の移行期間を設けて、IFCC測定法への変更を決定しました。変更後は活性値(測定値)が約1/3となり、基準値も変更になります。 ALPと同様に、血清乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH)に関しても、国際的調和の必要性からIFCC測定法への変更が決定しています。LDHに関しては、LDH5が優位の場合にJSCC法が高値傾向となりますが、相関性は良好であり活性値には大きな差異はないことから現行の基準範囲がそのまま適用されます。 ※ALP:IFCC基準範囲 38〜113 U/L
ALP https://juntendo-urology.jp/treatment/pharmacotherapy/ 前立腺がんの薬物療法 前立腺がんのホルモン療法について 前立腺は男性ホルモンであるアンドロゲンの影響を受け増殖します。前立腺がん細胞も同様にアンドロゲンの影響を受けます。そこでアンドロゲンの分泌や働きをブロックして、がんの増殖を抑えようというのが、ホルモン療法です。 pharmacotherapy01 95%
ホルモン療法は脳の下垂体に働きかける薬剤を注射することで、精巣からアンドロゲンが分泌するのを抑える方法と、「抗アンドロゲン剤」を内服して5% 、アンドロゲンが前立腺の細胞に働きかけるのを防ぐ方法の2つあり、この両者を併用するMAB療法と呼ばれる方法が多く行われています。ほとんどの患者さんで治療効果が発揮されます。順天堂医院では患者様と相談の上、たとえ進行がんであっても薬物療法だけでなく、放射線治療やロボット支援手術などを含めた最良の治療法を検討します。 下垂体に作用するもの 注射剤 効き目95% リュープリン、ゾラデックス、ゴナックス 抗アンドロゲン剤 内服薬効き目5% カソデックス(ビカルタミド)、オダイン、プロスタールなど 女性ホルモン剤 エストラサイト、プロセキソール さらにアンドロゲンを強力に抑える新規ホルモン治療薬剤 イクスタンジ(エンザルタミド)、ザイティガ(アビラテロン) 注射薬は1ヶ月もしくは3ヶ月に一度、内服薬は連日服用いただきます。注射は臍の周りや大腿、上腕の皮下脂肪が多い部位に注射します。注射部位が赤く腫れたり、固くなることがありますので、その際は主治医にご相談ください。 アンドロゲン除去治療 抗アンドロゲン剤を長期間使用していると効果がなくなりPSA値が上昇する場合があります。そこで内服薬を一度中止するとPSA値が下がる場合があります。 アンドロゲン交替療法 アンドロゲン除去療法によって下がったPSA値も、多くの場合半年程度で上昇してしまいます。その際には、別の抗アンドロゲン剤やイクスタンジ(エンザルタミド)やザイティガ(アビラテロン)などの新規ホルモン剤を使用します。 これら新規ホルモン薬剤の加療を行なっても、PSA値が上がってきたらどうするか。この悩ましい点を打開したのが抗がん剤のドセタキセルです。 抗癌剤というと吐き気など副作用の強いイメージがありますが、ドセタキセルの副作用は比較的軽く、外来通院での加療が可能です。がんがホルモン治療に抵抗性になり、アンドロゲン除去療法や交替療法を行っても、PSA値が上がってきたらどうするか。この悩ましい点を打開したのが抗がん剤のドセタキセルです。pharmacotherapy09投与方法はドセタキセルを3-4週毎に点滴注射します。また白血球が下がることが多いので、一般的には投与してから約1週間後に外来で白血球を増やす薬を投与します。 投薬のスケジュール ドセタキセルなどの抗がん剤治療中でも、ホルモン療法は引き続き継続します。またステロイド内服薬を併用することが多いです。
がんで「安らかな最期」を迎える人の共通点 薬や点滴を使いすぎないこと 0 9 LINE共有ボタン 2021年12月12日 16時15分 NEWSポストセブン がんで「安らかな最期」を迎える人の共通点は?(写真/GettyImages) 写真拡大 人生100年時代といわれ、老後の生き方が多様化するいま、人生の幕引きの瞬間もまた多様化している。先月、義理の父親を看取ったばかりだという会社員の松山早苗さん(54才・仮名)はこう語る。 広告 【一覧で丸わかり】がん、心筋梗塞ほか 病名別「最期の14日間」で起こること一覧 「義父は肺がんを患っていましたが、末期は緩和ケアをしていたこともあって痛みもほとんどなく、87才で穏やかに亡くなりました。途中、闘病で苦しい思いをしたこともありましたが、最期の2週間は退院して家で過ごすことができた。孫や子供たちとも会えたし、前日まで食事もできていた。悔いのない旅立ちだったと思います。 一方で、一流企業に勤めて海外勤務もするエリートだった親戚は70才で脳梗塞を患い、一命を取り留めたものの2年後に再発して寝たきりになり、最期までつらいと周囲に漏らしていました。亡くなる2週間前には嚥下障害を発症し、点滴でやっと命をつないでいる状態だったそうです」 それまでの人生がどんなに豊かでも、最期の14日が苦しいものであれば本人も周囲もつらいし、安らかなものであれば救われる。生まれる場所を選ぶことができないように、どんな死に方になるかはそのときが来なければ誰にもわからない。しかし、少しでも安らかに過ごす方法はないのだろうか。 救急救命士として多くの命と向き合ってきた、日本救急救命士協会会長の鈴木哲司さんは、あらかじめ自身の最期の瞬間を具体的にイメージしておくことが安らかな死につながるという。 「確かに、死は突然やって来るものであり、どう亡くなるか選択することは不可能です。しかし、理想の最期を考え、そこに近づけるために準備することはできる。そのためには人はどう息を引き取るのか、“最期の14日間”でどんな状態になるかを知っておくことが必要です」(鈴木さん) がんは「最期の10日間」が重要 いまや2人に1人がかかり、死因として最も割合の高いがんは、種類や進行度によって最期の状況が大きく異なってくる。緩和ケアに詳しい長尾クリニックの院長、長尾和宏さんは特につらいのは、胃や大腸、膀胱や卵巣など腹部にできる腫瘍だと指摘する。 「腹部には重要な臓器が密集しているうえ神経も多いため、痛みを感じやすい傾向にあります。特に大腸がんや胃がんは、末期になるとお腹に散らばったがん細胞がチューインガムのように臓器にくっついて癒着することがある。その結果、腸管が詰まって腸閉塞を発症するケースもあり、その状態になれば痛みと腹部膨満感に苦しむことになる。 また、子宮や卵巣、膀胱や前立腺がんの場合、肛門と陰部あたりの会陰部に転移することがありますが、神経が多く通っている部位なので、座っていられないほど痛みを伴います」 近年患者数が増加し、がんの死因4位であるすい臓がんも、末期となれば痛みに襲われることが多い。昭和大学病院緩和ケアセンター長の岡本健一郎さんが解説する。 「すい臓がんは自覚症状がないゆえに見つかりづらいため、“サイレントオーガン(もの言わぬ臓器)”ともいわれ、発見時にはすでに転移していることも多いです。進行するとがんが胆管をふさいで黄疸を起こしたり、すい臓周辺の神経が多い場所に広がってみぞおちあたりを指す心窩部や背中に強い痛みを感じたりします」 どんながんであっても、最期はほかの臓器や組織に転移して原発巣以外にも体のあちこちに痛みや不快な症状が表れてくる。ただし、医学の進歩に伴い、現在ではほとんどの場合、緩和ケアでコントロールしながら亡くなる1か月前まで日常生活を送ることができる。 「亡くなる兆候が出始めるのは、1か月ほど前であることが多いです。全身の倦怠感や食欲不振、便秘、不眠、呼吸困難、吐き気など、さまざまな症状が複合して表れます。2週間が経過すると、これらの不調がさらに悪化する。気道に分泌物や痰がたまりやすくなり、呼吸をすると喉がゼーゼー、ヒューヒューと鳴る人もいます」(岡本さん) 20年以上在宅で多くの患者を看取ってきた長尾さんは、がんは最期の10日間が大事だと話す。 「どの患者さんも最期の10日間までは比較的元気に過ごされる人が多い。ご飯も通常通り食べ、外に出ることもできる。ですが亡くなる10日前になると食欲が急激に落ち、そこから一気に状態が悪くなっていきます」 亡くなる数日前になると、意識レベルが低下して血圧も下がり、次第に体が冷たくなってくるといわれるが、長尾さんの経験では在宅の患者は、ピンピンコロリ型で安らかに亡くなる人も多いという。 「がん患者というと、最期は苦しむのではないか、と心配するご家族が多いですが、実際はそうとは言い切れない。例えば肺がんだった70代の患者さんは、亡くなる直前までたばこを吸いながら話をしていて、火がついたまま亡くなりました。80代の肝臓がんの患者さんも、前日に診察に行くとビールを飲みながら大好きなプロ野球観戦をしていて、翌朝に亡くなった。 意外かもしれませんが、がん患者の場合は、入院から在宅に切り替えた後、亡くなるまでの期間は多くの人が想像しているよりも短い。末期がんの平均在宅期間は1.5か月です。亡くなる数日前までは自力でトイレに行けるし、量は少なくてもご飯を食べられたりします。 特に高齢者の場合、直前まで元気に過ごされるケースが多い。若い人は痛みが強いことが多く、鎮痛剤を使いながらコントロールします。また、こうした安らかな最期を迎える人に共通しているのは、薬や点滴を使いすぎないこと。自然の状態を受け入れることが大切です」(長尾さん) 苦しむ患者の悩みに寄り添うがん難民コーディネーターの藤野邦夫さんも、心身の苦痛を取り除くことが最重要だと話す。 「がん患者はしばしば“もう死んでしまいたい”と口にしますが、その理由のほとんどは身体的な苦痛が取り除かれていないためです。実際、延命治療を4年間受けている重度の乳がん患者は、抗がん剤やホルモン療法の副作用がつらくて、治療を始めてから1日も晴れた気分になれないと吐露しました。卵巣がんで全身に転移した患者にも、お腹に水がたまって座ることすらできなくて、苦しんでいた人がいる。 逆に、こうした苦しみが緩和ケアによって取り除かれれば、末期の状態でも気持ちが前向きになり、食事が摂れたり外出をしようとする気力が出てきたりする。幸せに旅立つことができますし、生きる気力が湧いて寿命が延びる人もいます」 ※女性セブン2022年1月1日号 https://news.livedoor.com/article/detail/21341915/ NEWSポストセブン 外部サイト がん「病院別・5年生存率データ」の役立つ読み解き方 ステージIVのママも警鐘 「女性の大腸がん」を避けるためにできること 医師が「私はのまない」と宣言する要注意な市販薬 「がん治療」をもっと詳しく 2019年に肺腺がん手術の河村隆一「非喫煙者の自分がなぜ」と回顧 がん関連でかかる本当の費用を調査 100万円以上の回答が17%も 70%から0.8%に激減 子宮頸がんワクチンの接種率が低くなった理由 無料相談窓口
抗がん剤は時代遅れ?アメリカは抗がん剤を使わない治療にシフトしている がん治療相談センター 0120-309-332 https://www.g-ms.co.jp/blog/five_years_survival_rate/ がん治療の中でも中心的役割を果たしている抗がん剤がアメリカや欧米諸国では使われなくなってきているという話を聞いたことはありますでしょうか。 がん治療は患者と医師の二人三脚で行なうものだとよく言われています。しかし、もしかしたらその医師はあなたのがんを治すことだけしか考えていないかも知れません。今回は熱血な医師こそ陥りやすい、がん治療の落とし穴についてお話します。 手術や抗がん剤治療のメリットやデメリットをきちんと天秤に掛けて、どのような治療を選択すれば良いのか、5年生存率に隠された真実を読み解き、しっかりと考えていきましょう がん治療に悩んだらがん治療の無料相談センター 受付中 がんの臨床試験、研究・治験広告のご案内 製薬企業や医療機関、研究グループから依頼を受け、治験審査委員会の審議で承認された臨床試験、治験を掲載しています。 非小細胞肺がんの患者様 【臨床試験広告】非小細胞肺がんの手術/放射線不可案件の超音波治療(局所治療)の臨床試験のご案内 最後まであきらめずにがんと戦う医師は良くない 「がんが進行しているけど、最善を尽くす」という医師の言動が、外科手術でも抗がん剤治療でも最悪の結果を生むことは多いです。基本的にそういう医師は、がんをやっつけることに集中しすぎて、患者様がどうなるかにまで思いが及んでいない場合が往々にしてあるからです。 例えば、すい臓がんなどは、欧米では40年くらい前から「ほとんどの場合、手術の対象にならない」とされているのですが、無駄に手術に挑み、少なくとも1〜2年は生きられる患者様を数ヶ月も生きられない状態にするというケースが少なからず存在します。 また、抗がん剤においても、完治の見込みがまったくないのに、3種類もの抗がん剤を投与し続け、患者様の寿命を縮めてしまうというのは良くある話です。そういう医師は、どれだけ極悪な医師なのかと会ってみると、熱血で院内の評判も良い医師だったという場合がほとんどなのです。 今すぐに治療を諦める必要はないのですが、無理な治療を無理やり続けるのは返ってよくないことがあります。今おこなっている治療に違和感を感じたら、私たちのようながんのコンサルタントや他の病院のセカンドオピニオンを受けるなど、他の手段を考えてみることをお勧めします。 がんの手術で生存率は伸びない 実は、がんの手術で生存期間が延びたことを立証した臨床試験は一つも存在しません。実際、日本でも死亡原因の1位はがんで、約30%の人ががんで無くなっています。約50%の人ががんになる時代なので、がんを患った方の約60%が亡くなるという計算になります。 日本国内のがん死亡者の割合 がんの5年生存率は完治率ではなく、再発がんの患者データも含まれている がんの5年生存率は90%と軒並み高いのに、なぜこんなことになっているのかというと、5年生存率のデータには再発がんで苦しんでいる患者様も含まれており、生存率は完治率とイコールではないというトリックが混じっています。 実際、日本で再発・転移がんがどれくらいの割合で起こっているのかという公式のデータは存在していません。分かっているのはがんになると60%の人ががんで亡くなるということだけです。日本ではほとんどの人ががんになると手術を受けるのに、この数字はすごく衝撃的な数字に思いますが、これが現実なのです。 手術を受けることが出来たらがんは安心というイメージは、テレビや都合の良い人達によって作られたものかもしれません。手術には必ず合併症などの後遺症の危険が伴います。完治の見込みがない場合、無理に手術を受けることは返って寿命を縮める可能性があるということは知っておく必要があります。 手術のリスク ・手術ミスがつきまとう。手術中の術死なども少なからず有る ・手術そのものが成功しても、後遺症が残るケースが非常に多い ・切り取った臓器はなくなり、臓器不全を伴う ・手術を受ける精神的なストレスから、免疫力が低下する ・切り取ったところに大量の活性酸素が発生し、全身の組織を攻撃する(酸化ストレス) ・見えないがんが残存し、かえってがんが暴れだすことが多い ・メスを入れることでがん組織を破壊し、手術によってがんが転移する可能性も高い 手術にはこのようなリスクが発生してしまうことを覚悟していなければいけません。 抗がん剤は増がん剤である。 がん大国のアメリカや欧米諸国では、「抗がん剤は増がん剤である」と見限られつつあります。がんの死亡者数が年々減少している米国では、抗がん剤はがんを治す上で無意味であることが早くから公表されています。アメリカ国立がん研究所のNCIでは、88年に数千ページにも及ぶ「がんの病因学」という報告書で「抗がん剤は増がん剤である」と言って世界を驚かせています。 また、違う実験では抗がん剤を3種類使うとがんは小さくなるが、寿命は7〜10倍短くなるという報告もあります。 抗がん剤のメリットとデメリット 抗がん剤は、その人に発生したがん細胞により効く時は劇的に効くことが多いです。しかし、抗がん剤はそのほとんどが「劇薬」や「毒薬」のカテゴリーに属す薬であり、その副作用は、正確には毒性と呼びます。なので効かなかった場合は、すぐに抗がん剤の使用を止めて、違う治療を模索することが結果的に延命効果がある場合が多いです。 完治に向けた抗がん剤の使用は否定しませんが、延命に向けた抗がん剤の治療は返って寿命が縮まることが多いということは覚えておいた方がよいと思います。 がん医療先進国アメリカと日本国内の医療方針の違い アメリカなどでは、3大治療から免疫や遺伝子医療などの代替療法などにシフトしつつあり、年間数千人単位でがんの死亡者数が減ってきています。 人口10,000人あたりのがん死亡者数データ 米国のがん死亡者数データ 出典:OECD(経済協力開発機構) 2016年版 https://data.oecd.org/healthstat/deaths-from-cancer.htm 上記の図が示している通り、アメリカでは死亡者数が過去20年間で22%以上も減少しています。逆に、3大標準治療に頼りきりの日本では年々がんの死亡者数が増えてきているがん大国になってしまっています。 日本国内のがん罹患数と死亡数の長期的傾向 日本国内のがん罹患率と死亡率 出典:国立研究開発法人 国立がん研究センター http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20150428.html 医療技術は進歩しているにも関わらず、死亡者数が年々増加傾向にあるのはどこに原因があるのでしょうか。国内では画期的な治療法に対しても国がなかなか認可せずに、保険診療が広がりを見せないのも原因の一つかも知れません。 まとめ がんはやっかいな病気です。日本の手術の技術は世界一なので、手術を行うこと自体は問題はありませんが、遠隔転移があって治る見込みがない状態での手術は、返って寿命を縮める結果になることが少なくありません。抗がん剤も、完治の見込みがない場合においては、とてもお勧め出来る治療方法とは呼べません。保険診療を行っている大病院の医師に「最後まで諦めないでなんとかお願いします」と頼むことは、寿命を縮める結果になってしまっているかも知れません。 世の中には、保険診療外ではありますが、副作用がなく、高い効果の見込める治療がいくつも存在しています。今おこなっている治療に疑問を感じたら、患者様を苦しめる結果になる前に一度他の治療を選択肢に入れることをお勧めします。
――オプジーボの投与対象はどんな方ですか。 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO08816990W6A021C1XM1000/ 「末期の『ステージ4』でがんの転移がある人や、外科手術後に再発した人だ。プラチナ製剤と呼ばれる抗がん剤をベースとした治療を既に行った人を当院では基本としている」 「非小細胞肺がんで亡くなる人はほぼ『ステージ4』になるわけだから、全員が対象患者だとも言えるが、患者の状態などを考慮して決めるので、実際に全員に投与しているわけではない」 ――お金がかかり過ぎることに批判もあります。 「高薬価は問題だが、診療現場ではあくまで医学的に必要と判断されれば使用する。目の前の患者に『高いから使えない』とは言えない」 ――使用するうえで難しいのはどの点ですか。 「やめ時が難しい。効いている場合、効いていない場合のどちらもだ。効いている場合の標準的な投与期間というものはない。当院は効いていて副作用がなければ1年は使用する。1年超えた場合は悩ましい。患者と相談、臨床試験の長期データなどを見て判断するしかない」 ――効かない人では。 「6カ月以内に打ち切らざるを得ない。ただ、『無効』と判断するのが難しいケースもある。実際は効いているのに、腫瘍が一時的に大きくなってしまう『偽増悪』という現象が発生することがあるからだ。この割合は肺がんでは8%ほどあると報告されている。残りの92%は本当に悪くなっていたことになるが、目の前の患者がその8%かもしれない。その見極めが非常に難しい」 ――具体的に病院ではどうしていますか。 「投与後2カ月ほどで画像を撮影し、症状の悪化や腫瘍の拡大が見られれば、基本的に中止する。それらがなければしばらくは続けている」 (聞き手は企業報道部 野村和博) [日経産業新聞 10月27日付]
石原慎太郎さん 89歳で死去 最後まで作家 昨年末に短編小説まとめる「これが俺の遺作」20220202 " 2月2日(水)5時30分 スポーツニッポン 写真を拡大 ◇石原慎太郎さん死去 東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格としても知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京都大田区の自宅で死去した。89歳。膵臓(すいぞう)がんを昨年10月に再発していた。 慎太郎さんが昨年12月に短編小説を取りまとめていたことを明かした伸晃氏。「大変良い上下巻の本が出来上がったと喜んでまして"これが俺の遺作だなあ"と話してました」と述懐。先週まで執筆活動を続けていたといい「これから本が3冊出ます。最後まで作家として仕事をやり遂げた」としのんだ。 2013年に脳梗塞を発症したほか、膵臓がんも患うなど、近年は体調を崩していた。伸晃氏によると、昨年10月に膵臓がんが再発。「本当によく闘い、頑張ってきた」と話した。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。 1950年代に文壇を席巻し、政界デビューしたのは68年。自民党公認で参院全国区に立候補し、史上最多の300万票を超える得票でトップ当選した。任期途中の72年に衆院にくら替えも75年に辞職、今度は都知事を目指したが、現職の故美濃部亮吉氏に敗れた。 76年に衆院議員に復帰し、環境庁長官、運輸相などを歴任。衆院通算8期目の95年、議員勤続25年表彰の当日に辞職を表明。「ほとんどの政治家は保身の目的のためにしか働いていない」と言い放った。73年には、前年の日中国交正常化・台湾断交に反発し、党内若手集団「青嵐会」を結成。自らが主導して、会員名簿に血判状を押させたことは今でも語り草になっている。 再び脚光を浴びたのは99年の都知事選再挑戦。圧勝後の会見で「都庁で会おうぜ」と発言、話題を呼んだ。 東京五輪の招致、ディーゼル車の排ガス規制などに取り組んだ一方、12年の訪米中には沖縄・尖閣諸島を都が購入する意向を表明。国有化につながった。 強面(こわもて)のイメージが強かったが、11年3月に起きた東日本大震災の福島第1原発事故で被ばく覚悟の放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキュー隊の隊員に涙を流しながら謝意を伝えたこともあった。活動報告会の場で「皆さんの家族にすまないと思う。もう言葉にできません」と何度も言葉を詰まらせ、深々と頭を下げた。 4期目途中の12年、自主憲法制定を目指し知事を辞職し再び国政へ。当時の橋下徹大阪市長が率いる日本維新の会に合流し復帰を果たしたものの、路線対立で同党は分裂。次世代の党の最高顧問として臨んだ14年総選挙で落選、政界から身を引いた。「言いたいこと言って、やりたいことやって、人から憎まれて死にたい」--。引退会見でも慎太郎節をさく裂させた。 202001 膵臓がんが難治がんなのは、早期で見つかりにくいためです。治癒が期待できるステージ1での発見率はわずか1割ですが、"一がん息災"というか、東大病院の調査では、肝臓がんの治療で見つかる膵臓がんは6割がステージ1でした。 肝臓がんの再発チェックで、CT検査を頻回に行うため、早期の膵臓がんが見つかりやすいのです。 私が早期の膀胱がんを見つけたのも、自分で脂肪肝をチェックするためのエコー検査でした。石原さんも一病息災、膵臓がんの大きさが2センチのステージ1で早期発見できています。 もう一つは、治療法の選択で、放射線の一つ陽子線を選んでいます。ステージ1は切除が可能で、通常は手術が第一選択ですが、手術の問題点が取り残し。局所に再発したり、転移したりしやすく、5年生存率が5割に満たないのは、そのためです。202001
東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格として知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京・田園調布(大田区)の自宅で死去した。89歳だった。膵臓がんを昨年10月に再発していた。神戸市出身。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。 また14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には"遺言"も記していた。 「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」と鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると「心が弾む」と記していた。 そして、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。 東京スポーツ2022年02月02日 11時41分
石原伸晃氏が父・慎太郎さんの最期明かす「数えで90歳。大往生」 2/4(金) 14:16配信 45 コメント45件 この記事についてツイート この記事についてシェア 東スポWeb 石原伸晃氏(東スポWeb) 今月1日に亡くなった石原慎太郎さん(享年89)の長男で、元衆院議員の石原伸晃氏(64)が4日、自身のユーチューブ公式チャンネルで「父・石原慎太郎 永眠のご報告」の動画を寄せた。 【写真】「ネッシー生け捕り」会見した石原慎太郎さん 伸晃氏は「2月1日の午前に父・石原慎太郎が亡くなりました。89歳、数えで90歳。大往生であったと思います。3年前にすい臓がんを患い、昨年10月に腹膜にがんが転移し、闘病生活を送ってまいりました。そんな中での1日1〜2時間、亡くなる1週間前までは執筆活動を続けていた。政治家を引退した後、作家として人生を全うした」と述べた。 コロナ禍の現状を鑑み、家族葬を行いたい意向を示した。「ご弔問もご供花もご香典も誠に恐縮ではございますが、ご辞退をさせていただきたいと考えている」としたうえで「父・石原慎太郎にご縁のあった方々、また作家として、ファンであった皆さんと最後のお別れの会を開催できればいいなと考えております」と後日、お別れの会を開く予定という。 伸晃氏は最後に「長年にわたりまして、父・石原慎太郎に賜りましたご厚情に厚く厚く感謝申し上げます。合掌」と感謝の言葉を述べた。
石原良純、父・慎太郎さんの葛藤を告白「亡くなる最後の2週間はつらかったと思う」 2/5(土) 9:05配信 72 コメント72件 この記事についてツイート この記事についてシェア スポーツ報知 石原良純 俳優の石原良純が5日、メインパーソナリティーを務めるテレビ朝日系「週刊ニュースリーダー」(土曜・午前6時)にスタジオ生出演した。 番組では、石原の父親で元東京都知事、芥川賞作家の石原慎太郎さんが1日午前、東京・大田区の自宅で死去したことを報じた。その中で2014年5月に親子で対談したVTRを放送した。 良純は、亡くなる3か月前に余命宣告を受けていたことを明かした上で慎太郎さんが友人らと「俺はいい人生だったっていう話をしていて」と話していたことを振り返った上で「本当に楽しくいろんな人に支えられて生きてきた人だったと思うけど、89年間、それをやり続けて亡くなる最後の2週間はつらかったと思っているんです」と明かした。 一方で「普通、余命宣告したら、そこでいろいろ思うじゃない?ウチのオヤジ、すぐ立ち直って医者に俺の何がわかるって思うワケよ。そこで変わらないの」とも明かし「最後ずっと怒ってたもんね、なんで俺が調子悪くて寝ていなくちゃいけないのかって」と話した。 さらに「生命力の強さみたいな、自分が前へ前へ進んでいくことだけに執着して生き抜いてきた人だから、肉体が滅びたときに自分の精神はなくなってしまったら、その先は、ないっていう…。最後の2週間でその恐怖心みたいなものが芽生えて本当に動けなくなった時…。その最後の2週間以外はずっと前を向いていた」と振り返っていた。 報知新聞社
1日に亡くなった元東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎さん(享年89)の葬儀・告別式が5日、東京・大田区の自宅で家族葬として営まれ、親族ら約20人が参列した。
出棺後、兄弟は自宅前に並び、喪主を務めた伸晃氏が「生前、父・石原慎太郎に賜りましたご厚情に心を込めまして感謝申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」と頭を下げた。2期目の都知事選(2003年)の際に撮影されたという遺影を抱えた良純は父の顔を見つめ、肩を震わせた。 戒名は「海陽院文政慎栄居士(かいよういんぶんせいしんえいこじ)」。棺には自著「私の海の地図」が入れられた。今後は、先祖代々が眠る逗子市の海宝院に納骨される。
秘書を務めた楠田盛男さんによると、石原さんは生前、「墓石には『青嵐報国』と入れてほしい」と言っており「忘れるなよ」と強く念を押されたという。楠田さんは「(1973年結成の)青嵐会で活躍したときの自分がピークだという思いがあったのだと思う。
「1日2〜3杯のコーヒーで心臓病リスク低下」の研究報告 2022.04.01 Fri posted at 15:30 JST 1日2〜3杯のコーヒーを飲むことで心臓病などのリスクが低下するとする研究結果が報告された/Farknot Architect/Adobe Stock 1日2〜3杯のコーヒーを飲むことで心臓病などのリスクが低下するとする研究結果が報告された/Farknot Architect/Adobe Stock (CNN) コーヒーを毎日2〜3杯飲む人は心疾患や心不全、不整脈、早死にのリスクが10〜15%低くなるとの研究結果が、このほど新たに発表された。 不整脈の権威として知られる豪ベイカー心臓・糖尿病研究所のピーター・M・キスラー博士らが先日、英国で50万人以上の健康情報を10年以上追跡した「UKバイオバンク」のデータに基づく研究3件の概要を公開した。来月初めに米心臓病学会での研究発表が予定されている。 UKバイオバンクの研究参加者は登録時にコーヒーの摂取量について、1日当たり1杯以下から6杯以上までの範囲で申告することになっている。キスラー博士らはこのデータから、コーヒーの量と不整脈、心血管疾患、心不全と脳卒中、心臓にかかわる死亡リスクとの関係を調べた。 1件目の研究では、心疾患のない成人38万2500人あまりのデータを分析した。対象者の平均年齢は57歳。この中で、後になって心臓にかかわる問題が生じるリスクが最も低かったのは、コーヒーを毎日2〜3杯飲むグループだった。 また毎日1杯前後というグループは、脳卒中を起こしたり、心血管疾患で死亡したりする率が最も低かった。 2件目の研究では、コーヒーの種類と健康状態の関係に注目。カフェイン入りのレギュラーコーヒーとインスタントコーヒー、カフェインなしの「デカフェ」に分けて調べた。安価なインスタントコーヒーはレギュラーコーヒーに比べて健康効果が劣るとの見方もあるが、実際はそういう結果にならなかったと、キスラー博士は語る。 レギュラーまたはインスタントのコーヒーのどちらでも1日に1〜5杯飲むと不整脈、心疾患、心不全、脳卒中のリスクが下がり、どの種類でも毎日2〜3杯飲むグループは早死にや心疾患による死亡リスクが低いことが分かった。 3件目の研究は、すでに不整脈や特定の心血管疾患がある人を対象とした。心血管疾患の患者ではコーヒーの量にかかわらず、飲んで不整脈が出たという関連性は認められなかった。もともと不整脈のあるグループではコーヒーの摂取、特に1日1杯ずつ飲む習慣が、早死にリスクの低下につながっていたという。 キスラー博士は、コーヒーを飲んで危険な不整脈が起きることを懸念する医師も多いとしたうえで、今回の研究では毎日飲んでも心配はなく、すでに心疾患のある人にとって健康的な食生活の一部にもなり得ることが分かったと述べた。 コーヒーには炎症や脂肪の吸収、酸化ストレスを抑える成分が含まれているためと考えられる。 この研究概要について専門家らの間では、年齢や体質による調整が必要だと指摘する声も上がっている。もともと心血管疾患のリスクが低い若年層がコーヒーを一番よく飲んでいる可能性があったり、一部の人がコーヒーに過敏な反応を示す一方で、寝る前に飲んでも平気な人がいたりするためだという。
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【男性注意】前立腺がんが急増している「意外すぎる理由」 森勇磨 の意見 ? 昨日 6:00 人生100年時代は、健康こそ最大の資産です。
しかし40歳を越えると、がん、糖尿病、腎臓病といった病気を避けては通れません。国立がん研究センターによれば、40〜49歳のがん患者数は、30〜39歳と比べると3倍以上です(2018年)。もちろん50代、60代と年齢を重ねるにつれ、がん患者数はどんどん増えていきます。
本連載は、毎日の食事から、大病を患ったあとのリハビリまで、病気の「予防」「早期発見」「再発予防」を学ぶものです。著者は、産業医×内科医の森勇磨氏。「予防医学ch/医師監修」の管理人でもあり、動画は「わかりやすい説明で参考になる」「怖いけど面白い」と評判で、チャンネル登録者は27万人を超えています。初の単著『40歳からの予防医学 医者が教える「病気にならない知識と習慣74」』を出版し、感染症医・神戸大学教授の岩田健太郎氏が「安心して読める健康の教科書」と推薦文を寄せています。
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前立腺がんの意外な話 前立腺がんは日本で急増しており、男性のがんの罹患者数1位です。今後も増えていくことが予想されています。前立腺がんの主な症状は次のとおりです。
・前立腺がんが膀ぼう胱こうや尿道を刺激してしまい「頻尿」になる ・おしっこの通り道である「尿道」をふさいでしまい、おしっこが出なくなる ・背骨の「腰よう椎つい」という場所に転移しやすく、転移が起こると強烈な腰の痛みを感じる 高齢の男性にとても多い病気である「前立腺肥大」と「前立腺がん」は症状だけでは区別できません。症状があっても「年のせい?」と様子を見てしまう人も多いです。 前立腺がんが急増している原因としては、食生活の欧米化もありますが、最も関連があるのが「PSA検査の普及」です。
PSA検査とは? PSAとは前立腺で分泌されるタンパク質のことです。前立腺にがんができると、このPSAの数値が上昇するため、早期発見のスクリーニングとして測定されます。 このPSA検査が1990年代に急速に普及し、前立腺がんの診断数が急激に増加しました。つまり前立腺がんに「なる」数が増えたというより、「発見される」数が増えたというわけです。 一見よいことのように思えますが、そう単純ではありません。まず大前提として、アメリカ予防医学専門委員会は「PSA検査はメリット・デメリットを知ったうえで、個人の選択に委ねる」というはっきりしない姿勢をとっています(※1)
日本の厚生労働省は「推奨しない」という指針を出しています(※2)。しかし一方で、日本泌尿器科学会は「PSA検査は絶対に行ったほうがいい」と主張しており、意見が真っ二つに分かれてしまっているのです。PSA検査についてのエビデンスは、まだ決着がついていません。 41万人の男性を対象に行われたイギリスの研究(※3)や「PLCO試験」(※4)という研究ではPSA検査の有効性は証明できませんでした。 一方、「ERSPC試験」(※5)という18万人を対象としたヨーロッパの研究データでは、死亡率を下げたという結果も出ています。PSAの問題は日本だけでなく世界的に大激論が行われています。 しかし、なぜ発見数が増えているにもかかわらず、死亡率が下がらないデータが存在するのでしょうか?
がんを見つけないほうがよかった? 1つには、前立腺がんの「進行の遅さ」が関係しているといわれています。前立腺がんは早期の段階だと、手術などの治療をせず、PSAの数値を観察し続け、定期的に組織を採取するという選択肢があります(PSA監視療法)。
進行が遅いので「監視する」という選択肢もある珍しいがんです。進行が遅いがゆえに、死ぬまで悪さをせずだらだら体で過ごすパターンもあります。 こうした「死因とは関係ないが解剖してみたらたまたま見つかったがん」のことを「ラテントがん」と呼びます。遺体の解剖をしたら80歳以上の遺体のなんと約60%にラテントがんが存在したという報告もあります(※6)。 となると「知らなくてもよかったがんの存在を知ってしまう」ケースもあるため、「PSA検査」を行うことで幸福度を下げてしまうおそれもあります。
しかしこの話は「結果論」でしか語れないのが難しいところで、前立腺がんが転移して命を落とす場合もあります。楽観視できるわけでもありません。 PSA値はがん以外でも上がる またPSA値はがんだけでなく、「前立腺肥大」や「炎症」でも上がることがあります。精密検査をしても前立腺がんではなかった、という「空振り=偽陽性」のケースが比較的多いことも問題視されています。 現段階では明確に「PSA検査が有益だ」という決着がついていません。ただし、比較的最近導入された検査なので、今後長期的な研究で効果が証明される可能性はあります。
またアメリカ予防医学専門委員会からは「PSA検査が少なくなってから、がんが転移してから見つかるケースが増えた」というネガティブな報告もあります。こういった事情からも日本泌尿器科学会は「PSA検査」を推奨しているのです。 現段階でのPSA検査の結論としては、次のようになります。 @前立腺がんを「発見」するには確実に役に立つ検査 Aただし寿命を延ばす影響があるかどうかは確定的な根拠はない B比較的新しい検査なので、今後の研究で判断が変わるかも PSA検査を受けるべき人は? PSA検査は「過渡期」の段階にあり、議論にはっきり決着がつくのはもう少し先になりそうです。現時点では、「メリットとデメリットを並べて比較して、自分で決める」しかありません。 「80歳になっても肌質変わるんだ!」高級化粧品を徹底研究した女性が開発 「80歳になっても肌質変わるんだ!」高級化粧品を徹底研究した女性が開発 PR Strepair
例えば、「前立腺がんの家系なのでリスクが高いから、定期的に確認しておきたい!」という人はPSA検査を受けるほうがいいでしょう。一方で、「がんが見つかったら絶対に心を病んでしまう。有効性が証明されていないのも不安」という人は検査を受けないほうがいいかもしれません。 個人的には、家系に前立腺がんの人がいる場合は、がんのリスクが上がるのでPSAで確認したほうがいいと考えます。
今後もし「PSA検査が死亡率を下げる」と有効性がはっきり証明されれば状況は変わってきます。いつの日か、すっきり皆さんにPSA検査を勧められる日が来るのを心より願っています。 (本原稿は、森勇磨著『40歳からの予防医学 医者が教える「病気にならない知識と習慣74」』を編集・抜粋したものです)
【出典】 ※1 US Preventive Services Task Force. Screening for Prostate Cancer: US Preventive Services Task Force Recommendation Statement. JAMA. 2018 May 8;319(18):1901-1913. ※2 The Japanese Guideline for Prostate Cancer Screening. Jpn J Clin Oncol;39: 339-351(2009). ※3 Richard M Martin,et al. Effect of a Low-Intensity PSA-Based Screening Intervention on Prostate Cancer Mortality: The CAP Randomized Clinical Trial. JAMA. 2018 Mar 6;319(9):883-895. ※4 Paul F Pinsky,et al. Extended follow-up for prostate cancer incidence and mortality among participants in the Prostate, Lung, Colorectal and Ovarian randomized cancer screening trial. BJU Int. 2019 May;123(5):854-860. ※5 Jonas Hugosson,et al. A 16-yr Follow-up of the European Randomized study of Screening for Prostate Cancer. Eur Urol. 2019 Jul;76(1):43-51. ※6 Alexandre R Zlotta,et al. Prevalence of prostate cancer on autopsy: crosssectional study on unscreened Caucasian and Asian men.J Natl Cancer Inst. 2013 Jul 17;105(14):1050-8.